今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

「麒麟がくる」に反映された「洛中洛外図屏風」の謎解き

 京都市中(洛中)と郊外(洛外)のパノラマ景観を描いた洛中らくちゅう洛外図らくがいず屏風びょうぶの中でも最高傑作とされる「上杉本」(国宝、米沢市上杉博物館所蔵)が、上野の東京国立博物館で開催中の特別展「桃山―天下人の100年」に出品されている。

 70点を超える洛中洛外図屏風のなかでも初期の作品で、狩野永徳かのうえいとく(1543~90)が描き、天正2年(1574年)に織田信長(1534~82)が上杉謙信(1530~78)に贈ったとされる名品だ。

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上杉本洛中洛外図(米沢上杉博物館所蔵)

読売新聞オンラインのコラム本文

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屏風は織田信長から上杉謙信に贈られた

謎多き「上杉本」をめぐる大論争

 永徳に屏風を発注した人物は誰が、何のために描かれたのか。多くの学者が描かれた背景や秘められた政治的なメッセージについて考察し、歴史学者の大論争も起きている。その結果、明らかになった屏風の発注主と、そこに隠されていた意外な新事実について紹介した。

 詳しい経緯はコラム本文に書いた。東京国立博物館に行かれる方は、ぜひその前にお読みいただければと思う。ここではコラム本文に書ききれなかった余話を取り上げたい。むしろ東博で実物を見た後にお読みいただいた方がいいかもしれない。

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鬼滅の刃と日本神話 “聖地”の共通点

  

人気漫画『鬼滅きめつやいば』のコミック累計発行部数が電子版を含めて1億部を突破した。「週刊少年ジャンプ」の連載はすでに終了しているが、人気は依然衰えず、劇場版の映画も公開された。

 物語のモデルは多くが不明だが、『鬼滅』ファンは主人公の少年、竈門かまど炭治郎たんじろうと同じ名前の神社などをゆかりの地に見立てて“聖地巡礼”に訪れている。

 これらの“聖地”の由来をたどっていくと、『鬼滅』と日本神話のつながりが浮かび上がってくる。

読売新聞オンラインのコラム本文

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  • 九州の神社や山を連想
  •  2つの「天孫降臨の地」との関係
  •  炭治郎は火の神カグツチ
  •  敗者で影の存在
  • 古事記にはない「鬼」の文字

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公式ファンブック

九州の神社や山を連想

 『鬼滅の刃』は人食い鬼に家族を惨殺された炭治郎が、鬼狩りの非合法組織「鬼殺隊」の仲間とともに鬼と戦う物語だ。家族の中で唯一生き残った妹の禰豆子ねずこも鬼と化し、炭治郎は妹を人間に戻す方法を探る使命も担っている。

 物語が展開するのは」大正時代だが、東京・浅草など一部を除いて舞台がどこなのかは作中からは分からない。炭治郎の出身地は公式ファンブックで東京都の雲取山くもとりやまとされているが、作者の吾峠ごとうげ呼世晴こよはるさんは福岡県の出身で、作中には九州の神社や山を連想させるエピソードが数多く盛り込まれている。

 神社に奉納された絵馬などを見る限り、“聖地”として注目されているのは福岡の宝満山竈門神社、大分県別府市の八幡竈門神社などのようだ。

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「今につながる日本史」反響まとめ

  

 読売新聞オンラインで連載したコラムに、このブログの書き下ろしも加えた『今につながる日本史』。ほぼ完売しましたが、Amazonなどのネット通販でもお買い求めいただけます。全国の図書館にも入っています。

 本は多くの方に読んでいただき、これまでに多くの反響をお寄せいただきました。本当にありがとうございます。これまでに登場した書評などをご紹介します。私が知らないところに登場しているものがあれば、お知らせ頂けるとありがたいです。

  • 「日本記者クラブ会報」7月号で自己PR
  • 高橋英樹さんにもお読みいただきました
  • FACTA8月号書評 明治学院大名誉教授/樋口隆一さん
  • 財務省広報誌「ファイナンス」8月号書評/渡部晶さん
  •  近現代史研究者/辻田真佐憲さん
  • ノンフィクションライター/早坂隆さん
  • ノマド アンド プランディング書評/大杉潤さん
  • エネルギーレビュー9月号書評/斉藤隆さん
  • フランク・ミシュラン帝京大教授
  • 雑誌『歴史群像』10月号
  • 書評サイト「本が好き!」/信ちゃんさん
  •  読書メーター 双子座の双子ちゃんのパパ/Syoさんほか
  • あるケミストの研究室
  • ツイッター
  • 同級生の大学教授(友人公開のSNSなので匿名・抜粋)
  • 「深層NEWS」のテレビマン(友人公開のSNSなので匿名・抜粋)

「日本記者クラブ会報」7月号で自己PR

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高橋英樹さんにもお読みいただきました

 憧れの俳優、高橋英樹さんも本をお読みくださったそうで、感激です!織田信長 の魅力をたっぷり語っていただいたロングインタビューは読売新聞オンラインで公開中です。

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平家の落人集落発見?100年前の国勢調査

  

 国勢調査が大正9年(1920年)の第1回調査以来、100 年の節目を迎えた。10月7日に回答期限を迎えた今回の調査は新型コロナの影響でインターネットによる回答が推奨されたが、回答率が低く、回答期限が20日まで延期された。

 回答しない世帯には調査員が訪れ、虚偽の回答をすると罰金が科せられることもある。インターネットによる回答は思ったより簡単なので、早く済ませることをお勧めしたい。

  •  遅れに遅れた第1回調査
  •  調査の重要性を知っていた原敬
  • 「一人も漏れなく、ありのまま」
  • 平家の落人集落、埼玉の山中に
  • 統計の重要性は浸透したか

 遅れに遅れた第1回調査

 国勢調査は“Population Census”の訳で、「国の勢い」ではなく、「国の情勢」を調べて知るという意味だ。「国勢」という言葉を用いて統計の重要性を最初に訴えたのは、早稲田大学創設者の大隈重信(1838〜1922)だった。

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大隈重信(左)と寺内正毅(国立国会図書館蔵)

 日本は明治35年(1902年)に「国勢調査ニ関スル法律」を定め、明治38年(1905年)に第1回調査を行い、世界人口センサスに参加する予定だった。しかし、その前年に日露戦争が始まり、莫大な予算が必要な国勢調査は実施が棚上げされた。

 10年後の大正4年(1915年)の調査も、第一次世界大戦の影響で流れてしまう。のちに岩手県知事や東京市長を務める内閣統計局長の牛塚虎太郎(1879〜1966) が、当時の首相、寺内正毅(1852〜1919)に「国勢調査実施ニ関スル件」という意見書を提出し、実施の必要性を説く。

 「欧米諸国は前世紀のはじめから国勢調査を行っている。欧米諸国に伍していくには国勢調査の実施は必須だ。明治35年国勢調査の実施を法律で定め公言しているのに、10年以上も実施しないとは、いかなることか」

 牛塚らの尽力によって大正6年(1917年)「国勢調査施行ニ関スル建議案」が衆議院で可決され、ついに大正9年の調査実施が本決まりになった。

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国勢調査を推進した牛塚(左)と原(国立国会図書館蔵)
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「半沢直樹」と白洲次郎に共通する「プリンシプル」

  

 堺雅人さん主演のTBS系日曜劇場「半沢直樹」が終了した。最終回の世帯平均視聴率は32.7%と、令和になって最高を記録したという。「半沢ロス」に陥りながら書いたコラム本文は、ちょっと独りよがりかも知れない。SNS上には結構同じ意見があって、ちょっとほっとしたが...。

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 ドラマ後半で描かれた「帝国航空」の再建計画をめぐる話は、2009年に民主党前原誠司国土交通相が「JAL再生タスクフォース」を設置した話がモデルになっている。

  •  日航外資との日本の空争奪戦
  • 「もく星号事故」後に仕掛けた「倍返し」 
  • 特殊会社が「親方日の丸」体質を醸成
  • 戦後の産業復興、いたるところに登場
  • 日本一ダンディな男が土下座 
  • 「プリンシプル」が求められる時代

  債権放棄などをめぐる銀行団の反発などで再生計画づくりは難航したあげく企業再生支援機構に引き継がれ、日航は10年1月に会社更生法の適用を申請して経営破綻した。事実はドラマの経過とは異なる。

 むしろ熱い闘いがあったのは、約70年前の日航創設時ではないか。この時は吉田茂(1878~1967)首相の側近だった白洲次郎(1902~85)が半沢のような役回りを演じている

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「今につながる日本史」が本になりました!

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 読売新聞オンラインで連載したコラムに、このブログの書き下ろしも加えた『今につながる日本史』が本になり、5月20日中央公論新社から発売されました。

 2018年から2020年までに読売新聞オンラインに掲載した「今につながる話」のほか、歴史のこぼれ話〈余話〉、書き下ろしコラムや元号一覧表、作家の堂場瞬一さん、「歴史の達人」出口治明さんのインタビューも収録しました。全国の書店でお求めください。

  

 お読みになった方、本の通販サイトなどにレビューをお寄せいただけると励みになります。もちろん厳しい評価でもかまいません。

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新首相の地元 秋田藩が失敗した経済政策とは

  

 安倍首相が持病の悪化で退任し、菅内閣が発足した。秋田県出身者では初の首相で、地元(菅氏の選挙区ではないが)は盛り上がっている。

 菅氏は農家に生まれ、地方議員からたたき上げで首相に上り詰めた苦労人だ。親の選挙地盤を引き継ぐ世襲議員が目立つ昨今だが、菅氏には地方の振興に力を入れ、庶民に向き合う政治を期待したい。

 

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 だが、生まれながらに選挙地盤を持つ“地方の殿様”では庶民の気持ちは分からない、などというつもりはない。領民の暮らしに寄り添おうとした“地方の殿様”もいる。菅氏の地元、秋田藩久保田藩)の第7代藩主、佐竹義明よしはる(1723~58)もそのひとり。今回のコラムはその斬新な経済対策を紹介した。

  • 着眼点はよかった「銀札」発行計画
  •  領内を襲った猛烈なインフレ
  • 「銀遣いの国」で普及しなかった銀札は
  • お家騒動ばかりが有名に

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佐竹義明(天徳寺蔵)

着眼点はよかった「銀札」発行計画

 江戸時代中期に商品経済が発達して経済規模が拡大すると、幕府が供給する貨幣(正貨)だけでは足りず、多くの藩が独自の紙幣「藩札」を出していた。宝暦4年(1754年)、秋田藩も幕府に「今後25年の間、銀札ぎんさつを発行させてほしい」と願い出た。

 領内では当時、大雨、洪水、大火などの災害が相次ぎ、冷害による凶作が続いた。流通している銀貨や銭貨(正銀、正銭)に交換できる紙幣を発行して、財政難を乗り切り、経済活性化を図る政策自体は、目新しい政策ではない。

 だが、秋田藩にはもうひとつ目的があった。銀札を使って領内の正銀を藩に集め、困窮する領民に米や生活必需品を給付するというのだ。銀札を普及させれば、交換された正銀が回り回って藩に入ってくる。

 言い換えれば、領民に銀札を渡し、蔵やかめの中で“タンス預金(預銀?)”になっている正銀を藩に吸い上げる。吸い上げた正貨を藩外への支払いにあて、藩外から米や日用品を買い入れて領民に安く売れば、財政再建と領民救済の一挙両得が図れる――と考えた。

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秋田藩が発行した銀札
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