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読売新聞編集委員  丸山淳一

西郷どんと将軍家定、家茂の健康事情

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 NHK大河ドラマ西郷どん』をテーマに書いた1回目は、幕末の健康事情だ。タイトルは西郷のダイエットの話から取っているが、記事の中では幕末の将軍、徳川家定と家茂がなぜ早世し、慶喜が長寿だった理由を栄養学の面から推理している。

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上野の西郷像はなぜ犬を連れているのか

 西郷は今でいうメタボで、下剤と過酷なダイエットに追い込まれて精神的にも病んでしまったという話がある。上野の西郷の銅像が犬を連れた着流しなのは、明治天皇の主治医だったドイツ人医師ホフマンに命じられ、メタボ治療の山歩きをしている姿とされる。この話はよく知られていて、アニメ『タイムボカン』シリーズでも取り上げられた。

徳川斉昭(左、京都国立図書館)徳川慶喜(国立国会図書館蔵)

肉好きだった徳川斉昭慶喜 

 余談として、コラム本文では水戸藩井伊直弼彦根藩の確執にも食べ物の恨みが絡んでいたことも書いている。水戸藩主で尊王攘夷派だった徳川 斉昭なりあき(1800~60)は肉が大好物で、将軍家の陣太鼓にする牛皮の献上役だった彦根藩に所望して牛肉の味噌漬けを取り寄せていた。

 また、息子の徳川(一橋)慶喜(1837~1913)は「 豚一とんいち殿どの」(豚肉好きの一橋の殿様)のあだ名がつくほど豚肉が好きで、豚肉の産地だった薩摩藩に再三豚肉を所望し、家老の小松 帯刀たてわき(1835~70)が「身勝手な要求に困り果てた」と嘆いた書簡が残っている。牛肉と豚肉の違いはあるが、親子で他藩から「お取り寄せ」してスタミナをつけたおかげだろうか、斉昭は36人、慶喜は21人の子どもに恵まれている。

 井伊 直弼なおすけ (1815~60)が彦根藩主になると、「仏教の教えに従う」として牛の食肉処理が禁じられた。『水戸藩党争始末』には、大好物が食べられなくなった斉昭が直弼を恨み、これが安政7年(1860年)、水戸浪士が直弼を暗殺した桜田門外の変の遠因になったとある。むろん俗説だが、「食べ物の恨みおそろし雪の朝」という落首が残るくらいだから、水戸藩の肉好きは相当知られていたようだ。

脚気も「江戸の贅沢病」

 幕末の将軍13代家定(1824~58)と14代 家茂いえもち (1846~66)が相次いで早世したのは、江戸のぜいたく病、脚気が死因といわれている。脚気ビタミンB1不足が原因で起きる。玄米にはビタミンB1が多く含まれているのだが、将軍や殿様はきれいに精米した白米しか食べないので不足になりがちだ。慶喜が前2代の将軍のように脚気にならずにすんだのは、ビタミンB1が多く含まれる豚肉を食べていたためといわれる。

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西郷に過酷なダイエットを課したホフマン

 もっとも、このことがわかったのはずっと後になってから。西郷に過酷なダイエットを課したホフマンはもともとメタボではなく、原因不明の病だった脚気の治療のために日本に招かれていた。ホフマンは東大の学生に自身の栄養学に基いた食事をとらせているが、脚気の原因は分からず明治以降も根絶しなかった。

 昭和生まれの私も小学校の健康診断で木づちを使った検査を受けた記憶がある。木づちでひざ下を叩かれて足が「ぴょこんっ」と反応すると正常(脚気ではない)なのだが、昔の漫画ではこの反応で蹴とばされた医者が空に飛ばされて、怒った医者が「異常!」と診断したりしていた。私はずっと「ぴょこんっ」が異常と思い込んでいた。

 

 

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