今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

「地震加藤」と呼ばれた清正と熊本城

熊本地震から2年が経つのを機に、かつて赴任していた熊本に行き、熊本城の復興を取材した。その模様は「深層NEWS」でも放送したが、伝えきれなかった熊本城の石垣の構造などを解説した。

読売新聞オンラインのコラム本文

↑読売新聞オンラインに読者登録せずにワンクリックでお読みになれます

 その後の熊本城の復興状況についてもまとめている。

↑読売新聞オンラインに読者登録するとお読みになれます

最大震度7の揺れが2回

 阪神大震災以降、身をもって大きな地震を経験した人は多いだろうが、熊本地震での「震度7が2回」というのは想像を絶する経験だった。1度目は赴任していた熊本のテレビ局の報道局で。2度目は徹夜で前震の特別番組を報道し、家に帰って倒れていた家財を直して眠っていた時のことだった。

 住んでいたのは11階建てマンションの最上階。揺れが完全におさまるまで5分以上かかった。停電で電気が消え、先ほど直した家財がすべて倒れる中、手探りで着替えて出社したのを覚えている。

清正の石垣も崩れた

 熊本城は大天守は最上階の瓦が崩落し、小天守は1階部分の石垣が崩れた。石垣は各所で崩落し、完全修復には20年かかるといわれている。

f:id:maru4049:20181028175733j:plain

 地震の後「天守閣の瓦は倒壊を防ぐためにわざと落ちるようになっていた」「加藤清正の時代の石垣は崩れなかった」などの情報がSNSなどに飛び交いましたが、必ずしも真実とは言えない。清正時代の石垣も崩れており、崩壊する、しないかの分かれ目は、後世のメンテナンスが行き届いていたかどうかで決まったようだ。石垣の構造や崩れ方についてはコラム本文で詳しく解説している。

 熊本城を築いた清正は伏見城が倒壊した慶長伏見地震に遭遇し、その時の行動は通称「地震加藤」と呼ばれる歌舞伎の演目になっている。歴史を変えたといわれるこの地震についても記事を書いている。

↑読売新聞オンラインに読者登録せずにワンクリックでお読みになれます

 熊本に住んでみると、熊本城が県民の心の支えになっていることがよくわかる。ともかく巨大で、美しい。城好きの私がマンションの最上階を住処に選んだのも、窓を開けるとお城が見えるからだった。あれだけの巨城なので時間がかかるだろうが、焦らずに一歩一歩復旧を進めてほしい。

 

 

maruyomi.hatenablog.com

ランキングに参加しています。お読みいただいた方、クリックしていただけると励みになります↓

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村


日本史ランキング