今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

宮本武蔵と嘉納治五郎を結んだ熊本の柔道

 剣豪の宮本武蔵(?〜1645)と柔道の父・嘉納治五郎(1860~1938)は同じ時代の人ではない。だが、2人は「やわらどころ」熊本の縁でつながっていた、というコラムだ。2019年大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺」で描かれた日本マラソンの父、金栗四三との縁についても紹介した。

読売新聞オンラインコラム本文

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柔道はもともと武士の護身術だった

 柔道の源流である「柔術」は、戦場で武器を失った武士が、鎧も刀もある武士と戦う戦闘・護身術だった。

 お互いに素手で戦う相撲とは違って、相手の刀の切っ先をかわして素手で立ち向かわなければならず、剣術の心得がなければ練習できない。

 必然的に柔術と剣術は表裏一体で発展した。嘉納が創設した講道館柔道では、今でも相手の刀をかわす「演武」が行われている。

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熊本大学の柔道場跡(現在は体育館)に立つ嘉納の記念碑

 明治24年(1891)に旧制第五高等中学校(現在の熊本大学)の校長に就任した嘉納は、五高に百畳敷きの道場を造り、「柔道部」を創設した。熊本は嘉納が赴任する前から柔術が盛んで、しかも武術を精神修養の場とする考えが根付いていた。その土壌を作ったのが宮本武蔵だった。

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宮本武蔵遺蹟顕彰会 『宮本武蔵』より(国立国会図書館蔵)


二刀流と柔道の深い関係

 江戸時代初期、熊本藩の客分として熊本に招かれた武蔵は、右手に大太刀、左手に小太刀を用いる「二天一流」(二刀流)を藩士に広げた。武蔵は、熊本郊外の金峰山にある霊巌洞に籠って二刀流の奥義『五輪書ごりんのしょ』を書いたといわれている。

 『五輪書』は流派以外には見せない門外不出の書として弟子に引き継がれ、二刀流も他の剣術と同様に、柔術と表裏一体で発展した。二刀流の柔術は「四天流」として明治まで伝わり、嘉納は熊本で四天流師範だった星野九門(1838〜1916)から形や技を学んでいる。講道館柔道は武蔵が生んだ「やわらどころ」に育まれ、二刀流のDNAを取り入れたという。

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 霊巌洞には武蔵の肖像画のほか、木刀や直筆の書など武蔵ゆかりの品々もこじんまりと展示されている。平日は訪れる人も少ないが、漱石の『草枕』の道をたどるルートにも近いところにあるので、熊本を訪れたなら、立ち寄ってみたらいいのではないか。

 なぜ刀を持たない柔術に武蔵の思想が伝わるのか、さらにはそれが明治の嘉納治五郎に影響するのはなぜか。私も今回調べてみて、初めて知った。

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熊本大学に立つ小泉八雲の碑

坊っちゃん」との不思議な縁

 嘉納と夏目漱石小泉八雲との関係も、熊本で知ったことがたくさんある。講道館柔道を海外に最初に紹介したのは、五高の外国語教授だったラフカディオ・ハーン小泉八雲、1850〜1904)だったし、時期は重なっていないが夏目漱石(1867~1916)も五高の教師だった。

 嘉納は東京高等師範の校長だった時に、漱石に教師になるよう薦めている。漱石は『坊つちやん』の中で、赴任した愛媛・松山の校長の訓示の形で、このときの嘉納の言葉を紹介している。

 『坊つちやん』には、主人公が「山嵐」というあだ名をつけた会津福島県)出身の同僚教師も登場する。「たくましい毬栗〈ルビ・いがぐり〉頭」で柔術の心得もあるというこの教師のモデルは、講道館四天王のひとりで投げ技の「山嵐」を得意技とした西郷四郎(1866~1922)ではないか、という説もある。

武蔵と嘉納は「五輪」の縁も

 嘉納は柔道以外にもスポーツの発展に尽力し、「日本の体育の父」とも呼ばれる。東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員も務め、昭和15年(1940)第12回オリンピックの東京招致に成功したいきさつは、別のコラムにも書いた。

 この招致合戦を取材した読売新聞記者の川本信正(1907~96)が、新聞の見出しを短くするために生み出したのが「五輪」という言葉だ。川本は取材中にたまたま菊池寛(1888~1948)が雑誌に書いた武蔵の『五輪書』の随筆を読んで「これだと思った」と書き残している。

2020延期「柔道一直線」で跳ね返せ

 嘉納が招致した東京大会は日中戦争の激化で開催されなかったが、昭和39年(1964)に開催された東京大会では柔道が正式競技となった。

 だが、その大会の無差別級ではオランダのアントン・へーシンク(1934~2010)が金メダルを獲得し、大きな衝撃を与えた。梶原一騎のスポ根漫画『柔道一直線』は、この敗戦を起点に描かれている。

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  新型コロナウイルスの影響で2020東京オリンピックは延期となった。「お家芸」柔道をどう調整していくか、山下泰裕JOC会長の指導力が問われる。

 嘉納の思想を引き継ぐ上村春樹講道館館長と二人三脚で柔道界を支えてもらいたい。奇しくもこの2人も「やわらどころ」熊本県の出身だ。五輪、柔道、熊本との縁は、調べれば調べるほど面白い。

*2020東京五輪延期を受けて加筆・修正しました。

  

maruyomi.hatenablog.com

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