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読売新聞編集委員  丸山淳一

板垣死すとも大相撲は女人禁制?

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葛飾北斎の力士図(シカゴ美術館蔵)

 いろいろあった日本相撲協会で、今度は女人禁制が問題となっている。ちびっ子相撲で女児の参加が禁じられたり、大相撲巡業のあいさつで倒れた市長を介抱しようとした女性看護師に、土俵から下りるよう指示が出されたりした、土俵の女人禁制はいつからj始まったのか、歴史を調べてみた。 

読売新聞オンラインのコラム本文

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女人禁制は「大相撲」だけ

 女人禁制を厳格に守っているのは、江戸の勧進相撲から発展した大相撲だけだ。相撲のルーツは古代の朝廷行事にさかのぼり、それは大相撲の起源でもあるはずだが、かつては今のように、女性は土俵に絶対に上がってはならないという厳格な女人禁制はなかった。

 江戸時代の大相撲では土俵の上だけでなく、女性の観覧も禁止になっていたが、これは大相撲が賭けの対象となっていたため観客に男性が多く、熱くなった男性同士のけんかが絶えず、女性の身の安全を図るための措置だったようだ。

 明治維新で欧化政策が進むと大相撲は人気がなくなり、一時は存続の危機に立たされた。大相撲が女性の観戦を解禁したのは観客減を受けた措置で、女性のタニマチには特別席まで用意されたという。相撲協会は「伝統が、伝統が」と言いますが、それは明治以降の伝統でしかない。

厳格化したのは明治以降

 土俵の女人禁制についても、明治以降特に厳格になっていったとみられる。背景には国技館建設などに尽力し、大相撲を国技に押し上げた板垣退助の明治の大相撲改革があると思われる。このへんのいきさつはコラム本文に詳しく書いたのでお読みいただきたい。

 それにしても、日本相撲協会は動きが遅いのが気になる。太古からの伝統の裏付けが明確でない土俵の女人禁制は見直すべきと思うが、相撲協会が合理的かつ明確な根拠の元に存続させたいというなら、外から無理やり解禁させるのはおかしいとも思う。これまで通りというなら、女人禁制を続ける合理的な根拠を示すべきだろう。

見直しはどうなったのか?

 しかし、相撲協会は「検討のために時間をいただきたい」としたまま見解を示していない。

 一連の貴乃花親方の騒動でそれどころはなかったというのは理由にならない。真剣に検討もせず「死んだふり」をしていれば、みな忘れてくれるだろうと思っているとしたら、改革を口にする資格はない。

 コラム本文では板垣退助が、存続の危機にあった大相撲の改革に取り組んだ経緯を紹介した。女人禁制もどうやらその過程で生まれたようだが、そうではなく古来からの伝統であるとしても結論は変わらない。

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 時代にあわなくなったものは伝統であっても「伝統だから」という理由だけで見直しを免れることはできない。八角理事長は板垣を見習って、女人禁制改革に向けた見解を示してほしい。

 

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