今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

脱獄した高野長英と遠山の金さんの悲劇的な接点

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高野長英と高野の筆跡(『近世ニ十傑』国立国会図書館蔵)

 「塀のない刑務所」、松山刑務所大井造船作業所で受刑者の逃走事件が起きた。それをヒントに脱走の日本史を書いてみたのが以下のコラムだ。

読売新聞オンラインのコラム本文

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協力者は火あぶりの刑に

 江戸時代の蘭学者高野長英は「切り放ち」という人道的な救命制度を悪用して小伝馬牢を脱走した。放火と闘争の手引きをした使用人は長英より先に捕まって火あぶりの刑に処せられた。緊急時のみ認められた性善説に基く「切り放ち」を悪用したの手段は非道で、同情の余地はない。

 しかし、入牢までの経緯はあまりに理不尽で、大いに同情の余地がある。「蛮社の獄」で理不尽な弾圧をし、長英を牢屋に送った鳥居耀蔵(1796〜1873)は、耀蔵は天保の改革で庶民を弾圧し、甲斐守になった後は、「耀甲斐(妖怪)」と呼ばれて嫌われた。

 手段を選ばずライバルを追い落とし、蛮社の獄ももともとは政敵を追い落とすためにでっち上げられた疑獄だった。名奉行として知られる「遠山の金さん」こと遠山景元(1793〜1855)も、江戸町奉行から名誉職の大目付に追いやっている。

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丸の内トラストシティー(東京駅)にある北町奉行所跡

 それでもやはり逃げた以上、いくら名奉行の遠山の金さんでも見逃すわけにはいかなかった。そのいきさつや耀蔵と金さんの関係についてはリンク先にあるコラム本文をお読みいただきたい。

もう少し我慢できれば…

 それにしても悔やまれる。長英の脱走からまもなく失脚しているから、もう少し脱走を我慢していれば、長英は冤罪が晴れて放免されていた可能性が大きいのだ。

 吉村昭の小説『長英逃亡』は、この悲劇を実に綿密に描き出している。それによると、長英の立ち回り先で逃走を助けた関係者は厳罰を受け、長英の死後に娘は吉原に売り飛ばされ、火事で焼死してしまったそうだ。

 冷静な筆致なのだが、こうした史実を突きつけられると、感情移入してしまう。自分が同じ理不尽な目にあったらどうするか。家族が不幸になると分かっていても逃げるだろうか、考えてしまった。

 

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 吉村さんは長英の逃走ルートに沿って日本全国を歩いたそうだ。その緻密な下調べにはとても及びませんが、都内の長英ゆかりの地を駆け足で訪れた。

都心に埋もれる脱獄の痕跡

 赤い字で刻まれた小伝馬牢の刑場跡地の文字(上写真左)は血文字にみえ、合掌せずにはいられなかった。表参道の商業ビルに残る長英潜伏地の碑文(右上)や近くの善光寺境内に立つ顕彰碑(右下)は長英のものと知る人も少ないようで、写真を撮っていたら若い男性に「これって、なんかすごい人の記念碑なんすか?」と尋ねられた。

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 世間の注目が集まらない方が、長英は穏やかに眠れるのかもしれません。いずれにしても、歴史というのは肌で感じることができるのだな、と改めて実感した。

 

maruyomi.hatenablog.com

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