今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

刀剣乱舞に登場 幻の宝刀「蛍丸」と阿蘇一族【歴史編】

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 熊本県阿蘇神社の幻の宝刀「蛍丸ほたるまる」をご存知だろうか。終戦直後の混乱で行方不明となり、クラウドファンディングで復元プロジェクト(「影打ち」の作成)が行われて話題となったが、よく知られるようになったのは、オンラインゲーム「刀剣乱舞」のキャラクターに登場したことだった。

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 その「刀剣乱舞」のオープニングが松任谷由実さんのものに変わって公開された。途中に水中(海中?)に沈む蛍丸ではないかとみられる刀が映される。この刀が蛍丸かどうかは未確認だが、なぜ蛍丸が水に沈む場面が出てくるのか。拙書「今につながる日本史」にも収載した蛍丸阿蘇一族の史実を紹介する。

 無数の蛍が刀傷を癒やす

 「蛍丸」は鎌倉時代の永仁5年(1297)、名工とうたわれた山城国来国俊らいくにとし(生没年不明)の作とされる刃渡り101.35センチの大太刀だ。阿蘇の神々を祀る阿蘇神社の大宮司神職の長)でもあった阿蘇氏の惣領が受け継いできた。

 南北朝の動乱後醍醐天皇(1288〜1339)と対立し、一時九州に落ちた足利尊氏(1305〜58)は、延元元年(1336)、多々良浜福岡市東区)で南朝方と戦う。南朝方についた阿蘇宮司惟直これなお(?〜1336)と義弟の阿蘇惟澄これずみ(1309〜64)はこの刀で奮戦した。

 南朝方はこの戦いに敗れ、追手に迫られた惟直は自害する。『菊池軍記』によると、死闘の結果、ガタガタに刃こぼれしてしまった蛍丸は惟澄に託された。

 追いすがる敵を切り払って何とか阿蘇に逃げ帰った惟澄は、疲れ切って深い眠りにつき、無数の蛍が集まって刀身に止まる夢を見る。翌朝目を覚ますと、刃は元通りになっていた。これが蛍丸の名前の由来という。

 阿蘇神社に残る起請文(写し) によると、惟直自害の際、錦の袋に入れて肌身離さず持っていた後醍醐天皇綸旨りんじが谷底に落ちた。しかし、地元の領主の夢枕に阿蘇大明神が再三現れて「綸旨を返せ」と告げたため、探し出されて阿蘇に戻されたという。

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後醍醐天皇肖像(国立国会図書館蔵)

 綸旨は天皇が領地や支配権を承認した大事な証文だ。追手に追いつかれる状況になるまで惟直が多々良浜に残り、太刀が刃こぼれするまで戦ったのは、領地を守るためだったのだろう。

藩主も借りるしかなかった名刀

 蛍丸はその後も阿蘇神社の大宮司家に代々引き継がれた。その後も合戦などにも使われたらしく、江戸時代はじめの記録ではかなりの刃こぼれがあったようだ。

 元禄年間(1688~1704)には肥後熊本藩3代藩主の細川綱利(1643〜1714)が召し上げようとしたが、大宮司家は頑として拒否したという。仕方なく細川家は一時借り上げる形で藩主の佩刀はいとうとしたという。

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『集古十種』に残る蛍丸の記録(国立国会図書館蔵)


 寛政年間(1789~1801)に老中・松平定信(1759〜1829)らが編纂を始めた古美術の木版図録集『集古十種しゅうこじゅっしゅ」には、「螢丸 肥後國阿蘇宮司藏」が兄弟刀とともに模写され、「惣長四尺五寸 元幅一寸三歩 先幅七歩半」と記されている。蛍丸のものとされる押形(拓本)は複数存在する。

 時代の荒波にもまれつつ、刀は600年以上も阿蘇家が大切に引き継ぎ、昭和8年(1933)には旧国宝に指定され、戦前に撮影された写真も残っている。

海底に眠る?アメリカにある?

 ところが、終戦直後の昭和20年(1945)に連合国軍総司令部GHQ)が行った「刀狩り」によって接収されてしまう。蛍丸は「長光」の大刀、「牡丹造ぼたんづくり」の腰刀などの名刀とともに地元の警察署に提出され、熊本進駐軍の倉庫に運び込まれた後、行方が分からなくなってしまった、

 地元には、「GHQが他の刀とともに、熊本県宇城市三角みすみ港内の海に沈めてしまった」という海中投棄説がある。三角港近くには明治時代に製鉄所が設けられ、鉄などが集められていたという。

 もし「刀剣乱舞」OPで水中に沈む刀が蛍丸とすれば、あの場面は終戦直後、海に投げ込んだのはGHQということになる。

 ほかにも「接収を指揮したGHQのビーターセンがアメリカへ持ち帰った」という説や、「他の刀とともに三角港内の海に沈められた」といった説がある一方、「進駐軍の倉庫から持ち出され、今も熊本県内のどこかに隠されている」という説も根強く残っている。

 終戦で台湾から復員した阿蘇神社の宮司阿蘇惟友(1923〜86)は、生涯かけて蛍丸を探し続けた。高松塚古墳を発見し、文化勲章を受けた考古学者・末永雅雄(1897〜1991)も蛍丸の行方を気にして、広く情報提供を呼びかけていた。

 最近では文化庁が2013~14年にかけて行方を探したが、依然として見つかっていない。蛍丸は所在不明のまま国の重要文化財に指定された「幻の宝刀」になっている。

読売新聞オンラインのコラム本文

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 なお、蛍丸復元プロジェクトについては「深層NEWS」では2018年2月、俳優の高橋英樹さんと刀匠の福留裕晃さんをお招きして紹介した。

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 復元プロジェクトについては別のコラムにまとめたので、こちらも続けてお読みいただきたい。 

maruyomi.hatenablog.com

 

books.rakuten.co.jp

*2020年8月10日に更新しました

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