今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

大本営発表のウソを見抜いた昭和天皇

     

 終戦の日にあわせて、大本営発表の欺瞞の構造について書いた。書いたというより、「深層NEWS」にご出演いただいた『大本営発表』(幻冬舎新書)の著者で近現代史研究者の辻田真佐憲さんの番組でのお話を再構成したといった方がいい。

 このコラムはこれまでで最も大きな反響を集めた。辻田さんには記事を書く際にもさまざまなご協力をいただいた。このブログの表題にした昭和天皇の話も辻田さんに教えていただいた。改めて御礼を申し上げたい。

読売新聞オンラインのコラム本文

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真珠湾攻撃で炎上する米艦隊

現場情報を軽視、誤報チェックせず 

 大本営発表が最初からでたらめだったわけではない。真珠湾攻撃の戦果は、航空写真を綿密に確認するなどした上で、3度も修正されている。戦闘機から見た艦船は点のようなもので、本当に沈んだのか、沈んだ艦は戦艦なのか、駆逐艦なのかを判別するのは、熟練度が高い搭乗員でも簡単ではない。

 戦線が拡大し、熟練度が低い搭乗員が増えるにつれ、戦果の誤認が急増した。誤認は米軍にもあったが、大本営には情報を精査したり、複数の情報を突き合わせたりする仕組みがなかった。

 特に作戦部には現場からの情報を軽視する悪癖があった。根拠もなく報告を疑えば「現場の労苦を過小評価するのか」と現場に突き上げられる。誤った報告は鵜呑うのみにされ、そのまま発表されていった。

 台湾沖航空戦 幻だった大戦果

 誤報の極みとされるのが、昭和19年(1944)10月の台湾沖航空戦に関する大本営発表だ。5日間の航空攻撃の戦果をまとめた発表は、「敵空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻をごう撃沈、空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻を撃破」。米機動部隊を壊滅させる大勝利に、昭和天皇(1901~89)からは戦果を賞する勅語が出された。だが、実際には米空母や戦艦は1隻も沈んでおらず、日本の惨敗だった。

  

 熟練度の高い搭乗員はすでに戦死し、作戦に参加したのは初陣を含む未熟な兵卒が大半だった。多くは米軍の反撃で撃墜され、鹿屋基地(鹿児島県)に帰還した搭乗員の報告は「火柱が見えた」「艦種は不明」といったあいまいな内容ばかりだった。

 だが、基地司令部は「それは撃沈だ」「空母に違いない」と断定し、大本営の海軍軍令部に打電した。翌日に飛んだ偵察機が「前日は同じ海域に5隻いた空母が3隻しか発見できない」との報告が「敵空母2隻撃沈」の根拠とされ、さらに戦果に上乗せされた。

 さすがに疑問を感じた海軍軍令部は内部で戦果を再検討し、「大戦果は幻だった」ことをつかんだが、それを陸軍の参謀本部に告げなかった。陸軍は大本営発表の戦果をもとにフィリピン防衛作戦を変更し、レイテ島に進出して米軍を迎え撃ったが、台湾沖で壊滅させたはずの米空母艦載機の餌食となり、壊滅した。

水増しと隠ぺい、内部対立がさらに歪める

 情報の軽視によって水増しされた戦果は、公表範囲を決める幹部会議に持ち込まれ、「軍事上の機密」を理由に都合の悪い部分が隠ぺいされた。報道部が大本営発表の文書を起案する時点で、すでに戦果の水増しと隠ぺいが実施済みだったわけだが、戦果はさらに「内部対立」で歪められていく。

 起案された発表文書は主要な部署すべてのハンコがなくては発表できない。エリートが集まる作戦部は、他の部署を下に見ていたという。他の部署は作戦部を快く思わず、何かにつけていがみあっていたから、すべてのハンコをそろえるのは大変だった。

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大本営発表までの流れ(深層NEWSより)

 それでも勝っているうちはよかったが、日本が負け始めると、どの部署もハンコをなかなか押さなくなった。「そのまま発表すれば国民の士気が下がる」というのは建前にすぎず、「敗北を認めると、その責任を負わされかねない」というのが本音だった。

 発表が遅れれば、報道部の責任が問われる。報道部はハンコが早くもらえるように、戦果を水増しし、味方の損害を減らした発表文を起案するようになった。

マスコミの戦争責任については、耳が痛いことも肝に銘じる必要がある。辻田さんのお話を伺って、それを再認識した。

 大本営発表がウソの宣伝に成り果てていったことは昭和天皇も見抜いていて、ある時「(米空母サラトガを撃沈したのは今回で確か4回目ではなかったか」と、遠回しに苦言を呈したことがあったそうだ。

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責任の所在が不明確

 コラムをお読みになった方からはたくさんのご感想やご意見をいただいた。その中に「権力が集中していたのではなく、責任の所在が不明確だったことで忖度が発生した」としているのに「日本は他国以上に権力集中に歯止めを設ける仕組みが必要」 というのは矛盾していないか、というご指摘があった。なるほど。改めて考え込んでしまった。

 あえて整理すれば、権力集中が忖度が発生させることが多いというのは「要因」の話で、忖度が発生すると権力者はいちいち指示をしなくても勝手に動くようになるというのは「手順」の話なのかなと思う。

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辻田さん(左)と筆者

ナチスドイツの「先回り服従

 辻田さんは「深層NEWS」の中ではナチス・ドイツの「先回り服従」を例に、この違いを説明している。絶対権力を握ったヒトラーは、細かい具体的なところまで指示を出していたと思われがちだが、実は大まかなことを言うだけだった。ヒトラーに気にいられようとした部下たちが「先回り服従」し、ヒトラーの意向を忖度して動いていたという。

 これなら失敗した場合でもヒトラーは具体的な指示を出していないので、部下を切れば自らの失敗ではなくなるし、成功した場合は自分の手柄にできる。部下にしてみれば細かい根回しが不要で仕事が進めやすい。失敗したら切られるが、上司を巻き込んで責任を不明確にしておけばひとりで責任をかぶらなくてもいい。

 先回り服従で進められたのが、強制収容所でのユダヤ人大量虐殺だった。 

 太平洋戦争については、ほかにもコラムを書いている。カテゴリーにもしているので、お読みいただきたい。

maruyomi.hatenablog.com

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※2020年8月15日に更新しました。 

 

 

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