明治改元の詔が出てから150年になる。政府主催の記念式典が開かれたが、明治100年に比べて盛り上がりが今一つだったようだ。
50年という中途半端な節目だからだけではないように思える。司馬遼太郎の「結果を心配せず楽観的にともかく前を向いて進む」という明治維新の時代感覚が今にそぐわなくなっているからではないだろうか。そんなことを考えながら改めて明治維新の意義を考えてみた。
読売新聞オンラインのコラム本文
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「維新とは」過去から続く議論
明治維新については実に多くの人が革命かそうでないか、真剣に議論している。この命題について見解を示さなかった言論人や学舎を探すほうが難しいくらいだ。
史実、思想、結果の重大性、さらにはイデオロギーなど、アプローチの手段も実に多岐にわたる。それでも結論は出ていない。
そのことよりも、まず、これだけの人が維新に首を突っ込んだ理由が私には分からなかった。
このコラムを書くにあたって、さまざまな人の明治維新論を読んでみた。すべてには目を通せなかったが、それでも私なりに分かったのは、誰もが維新の不可思議さ、つまり「謎」に惹かれているということだ。
謎、といっても今はやりの「陰謀論」とは次元が違う。史実として当然と思っていた維新の経過を立ち止まって考えてみると、素直で純粋な謎が湧き出てくるのだ。
攘夷を唱えた志士が、王政復古の大号令で幕府の息の根を止めたのに、直後から文明開化の欧化政策を猛烈な勢いで進めたのはなぜか。
討幕から戊辰戦争に突き進み、政権を奪取した薩長が、廃藩置県や廃刀令、秩禄処分によって特権を自ら手放したのはなぜか。
商人や農民が関与しない士族内の政権交代なのに、社会がかくも劇的に変化したのはなぜか。
今から振り返れば答えは分かるが、維新の最中は徳川慶喜が大政奉還に踏み切るのかも、旧幕府軍が鳥羽伏見の戦いで本当に錦の御旗にひるむのかも、欧米列強が戊辰戦争で中立を保つのかも、全く分からなかったはずだ。なのにこれだけの大変革をごく短期間で成就させてしまったのは、実に不思議なことではないか。
答えが出ない謎もある
明治改元150年の日に放送した「深層NEWS」でもその謎を取り上げた。多くの言論人や学者が迫った謎に、たった1時間の番組で答えなど出るはずがないから、謎に迫る、はあまりにおこがましい。取り上げるだけで精一杯だった。
一番伝えたかったのは、これだけの先人の知的集積を「どうでもいい」「難しい」と食わず嫌いをするのは、まことにもったいない話ではないか、ということだ。西郷どんはそれを考える「とっかかり」に過ぎない。
ちょうど秋の夜長。日本人として、平成最後の年に巡ってきた維新150年の節目の日くらいは「どうでもいい」ことを考えてみてもいいのでは、と思う。
maruyomi.hatenablog.com
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