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読売新聞編集委員  丸山淳一

戦前にも「消えた報告書」があった? 秋丸機関の真実

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 金融審議会の市場ワーキンググループが2019年6月に公表した「老後には約2000万円必要」とする報告書が波紋を呼んでいる。 

 野党などから「年金保険料をしっかり払ってきたのに、2000万円足りないとはどういうことだ」「国家的詐欺ではないか」という批判が出て、麻生財務・金融相は「表現が不適切だった」ことを認めた。

 さらに麻生金融相は「報告書を正式なものとして受け取らない」と言い出した。「年金があたかも破綻するかのような誤解を招く。国の政策スタンスとも異なる」からだという。

  国のスタンスと異なる不都合な報告書をなきものにした前例としては、太平洋戦争突入直前の「陸軍秋丸機関」(陸軍省戦争経済研究班)の報告書がよく知られている。

 摂南大学准教授の牧野邦昭さんが詳細に当時の記録を調べ上げ、『経済学者たちの日米開戦』(新潮社)でそのことを明らかにしている。読売・吉野作造賞を受賞した同書をもとに、秋丸機関の報告書を振り返ってみた。

読売新聞オンラインのコラム本文

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ひそかに創設された特務機関

 「秋丸機関」は、ヨーロッパでナチス・ドイツと英仏が交戦していた昭和14年(1939年)9月に陸軍内部に設けられた「経済謀略機関」だ。第二次世界大戦に参戦すれば日本の命運をかけた総力戦になるが、日本の国力でどこまで戦えるか――関東軍参謀部付として旧満州国で産業振興にあたっていた秋丸次朗(1898〜1992)が東京に呼び戻され、ひそかに研究機関を創設したためこの名がついた。

 秋丸は主要大学の統計・経済学者や、中央省庁や南満州鉄道調査部から精鋭を集め、政治、経済はもちろん、社会、文化から思想に至るまで、内外の書籍や資料を収集・分析した。英米班、独伊班、日本班などの班に分かれ、それぞれ経済的な戦力や敵国となった場合の弱点を徹底的に研究した。

 全体のリーダーは英米班の中心だった東京大学教授の統計学者、有沢広巳(1896〜1988)が務めた。有沢はマルクス経済学者で、このころ治安維持法違反容疑で検挙されて起訴保釈中(東大は休職中)の身だったが、「科学的で客観的な調査研究」を目指した秋丸に抜擢されている。

分析結果「日本に勝ち目なし」

 分析結果は「英米」「独逸」「日本」などに分かれて出された。最も注目された英米班の報告は昭和16年(1941年)7月にまとめられ、陸軍の上層部に報告されている。

 その要点は、

▽英国は大戦を遂行するには供給不足があるが、米国は余裕がある。両国が手を組めば十分な経済抗戦力があり、第三国にも軍需物資を供給する余力がある

▽ただ、米国が最大の供給力を発揮するには、開戦から1年〜1年半かかる。英国は海上輸送力に弱点がある。月に50万総トン以上の船を撃沈できれば、米国からの援助物資が届かなくなり、英国の抗戦力は急激に低下する。

▽ゆえに英国に対しては海上遮断を強化し、植民地に戦線を拡大するのが効果的だ。対米戦略は対独戦に追い込んで国力を消耗させ、国内に反戦気運を高めて英国、ソ連と離反させるのがよい。

というものだった。秋丸は報告会で、口頭で「日米の国力差は20対1」と付け加えたという。

 国力を比較したらとても勝てず、対米戦略は具体策のない「作文」に近い。英国については支援物資を送る船を大量に沈める戦略を示しているが、その実行は難しいと判断していたようだ。米国からの輸送船を大西洋で沈めるドイツの国力について、「独逸」班の分析結果を併記しているのがその証拠だ。

 「ドイツの経済抗戦力はすでに限界で、今後は次第に低下せざるを得ない。独ソ戦に短期で勝利してソ連の生産力を利用できたとしても、まだ供給不足は消えない」

 普通に読めば日本は英米戦に突入しても勝ち目はないが、いくつかの打開策が示されてもいる。

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「報告書は国策に反する」と述べた杉山元陸軍参謀総長 (Wikimedia Commons)

焼却処分命令はなかった

 秋丸の報告を聞いた参謀総長杉山元(1880〜1945)ら上層部は「報告の調査や推論の方法はおおむね完璧だが、結論は国策に反する」として、資料は謄写版(コピー)も含めてすべて焼却処分するよう命じたとされる。かくして報告書は「なかったこと」とされ、日本は無謀な太平洋戦争に突入した。不都合な真実を握りつぶした軍部の暴走が日本の破滅を招いた――これが秋丸機関の報告書をめぐるこれまでの通説だった。

 焼却命令の現物は残っていないが、有沢も戦後に何度も「報告書は焼却された」と証言している。だが、牧野さんは『経済学者たちの日米開戦』の中で、上層部が秋丸機関の報告書を「国策に反する」としたのは「英米との国力差」ではなく、杉山は報告書の焼却を命じていないことを明らかにしている。

 報告書が指摘した日米の国力の差は周知の事実で、意外なものではなかった。秋丸は、報告書を聞いた軍の上層部が「今さらそんな話を聞いても仕方ない、という雰囲気でみんな居眠りしていた」と述懐していたという(『経済学者たちの日米開戦』)。報告会に杉山が出席していたかどうかも、実ははっきりしない。

 報告書の内容が軍の上層部に「国策に反する」と言われた後も、秋丸や有沢は数字も交えて報告書の内容を雑誌などで紹介し、新聞も「政府や軍などの分析によると」という形で報じている。

 つまり、秋丸機関の報告書は軍事機密でも何でもなく、報告直後に焼却を命じる意味はない。現に報告書の「英米」「独逸」の謄写版は複数残っている。どうやらこれまでの通説は、経済「謀略」機関として創設された秋丸機関の秘密裏なイメージに引っ張られすぎていたようだ。

北進論と南進論の対立が背景に

 では、軍の上層部は「国策に反する」と言わなかったのか、というと、それも違うようだ。牧野さんは、「国策に反する」との指摘は「国力で比較すれば英米には勝てない」というくだりに対してではなく、「強いて活路を見出すなら南進だ」というくだりについてだった、と見ている。

 報告書がまとめられた当時、陸軍内ではドイツと呼応してソ連と戦うべきとする「北進論」と、資源を確保するためにまず南方に進出すべきとする「南進論」が対立していた。

 杉山をトップとする参謀本部は北進論、秋丸が所属する陸軍省、特に軍務局は南進論を主張した。秋丸機関の「独逸」報告書は立場上、北進論を否定し、南進論の支持をにじませた内容となっていた。参謀本部の長として杉山が出席していれば、当然異議を唱えただろう。

 だが、報告書が出た時には「明確な国策」がなかったから、異議は決定ではなく、意見に過ぎない。この数か月後、日本は早期の対ソ開戦を見送り、南進路線を選択している。

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日本は南進路線に活路を見出そうとしたが…(ガダルカナル島に展開する旧日本軍。1942年撮影 Wikimedia Commons)

焼却された別の理由

 「報告書の焼却命令が出された」という有沢の証言もウソではなく、報告書が焼却されたのは事実だったようだ。ただ、牧野さんは、焼却されたのは秋丸が軍の上層部に報告書をあげた昭和16年(1941年)7月ではなく、ソ連のスパイ組織が日本国内で摘発されたゾルゲ事件で最初の逮捕者が出た同年9月以降だったとみる。

 マルクス経済学者だった有沢はゾルゲ事件とは無関係だったが、事件への関与を疑われて秋丸機関から追放されており、陸軍がゾルゲ事件への関与を疑われないよう秋丸機関の資料焼却を命じたことは十分にあり得る。

 有沢の記憶でこの間の時系列が錯綜し「報告書が国策に反するから焼却された」と思い込んだのではないか、というのが牧野さんの結論だ。

 牧野さんは秋丸機関の報告書の意義について「内容は『対英米開戦』の回避に役立ったとは残念ながら言えないが、日本がより悲惨な状況になったことは間違いない。対英米ソ開戦』の回避には役に立ったのかも知れない」(同書)と書いている。

 秋丸機関の報告とは逆に、日本が中国に加えて英、米、ソと同時に戦う事態になっていたら、日本は早々に惨敗し、ソ連軍の進駐を許して北日本ソ連)と南日本(英米)に分割されていたかもしれない。

「受け取らない」は許されるか

 秋丸機関は「英米と戦っても勝ち目はない」という結論の主眼を最後まで貫けなかった。だが、陸軍内の組織である以上、限界はある。国のスタンスも踏まえつつ、精一杯の説得を試みたことは、むしろ評価されるべきだろう。

 改めて金融庁の「消された報告書」を読んでみると、麻生金融相の言うような杜撰極まりないものではないことがわかる。年金財政に焦点があたらないように配慮した跡もあるから、組織の限界はわきまえていたのだろう。

 もっと配慮すべきだったとしても、「老後の暮らしは公的年金だけでは足りない」ことは意外でも何でもなく、雑誌や新聞でも紹介されている。いまさら報告書を受け取らなくても、その内容が消えるわけではない。

 

 

maruyomi.hatenablog.com 

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