今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

コロナ感染拡大 の一因 中国の 「春節」と暦の話

 新型コロナウイルスが世界に拡大している。1月24日から中国は春節旧正月)の時期(24日が大晦日にあたる)を迎え、のべ30億人が移動する「世界最大の民族移動」の直前という最悪のタイミングで発生した、ということは別のコラムで記した。

 この時期は留学生が海外から帰省し、中国国内から海外への旅行も行われる。中国当局は大晦日近くになって移動を制限したが、すでに旅行は始まっていた。移動制限が春節の直前まで遅れたことでウイルスが全世界に拡散されてしまった可能性が高い。

 

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春節の風景

もしコロナ感染が1年遅れていたら

 だが、もし新型コロナウイルスによる感染が1年遅れていたら、春節までの間に感染の拡大を止めることができた可能性がある。来年の春節は今年より18日も遅い2月12日。今年と同じ時期に移動制限をしていれば、ウイルスの世界への拡散を食い止められたかもしれないのだ。

 中国では正月や盂蘭盆うらぼんえ端午の節句などの年中行事は旧暦で祝う。1月24日には中国版の紅白歌合戦が放送され、年が明ければ新年のあいさつをし、子どもはお年玉をもらえる。やることはそう変わらない。では、なぜ日本と中国は正月を祝う時期が違うようになったのか。このことは多くの日本人が忘れてしまっている。

旧暦で正月を祝わないのは日本だけ

 太陽暦は全世界で採用され、世界中どこでも1月1日は同じ日にやって来る。だが、日本は太陽暦の日付で正月を祝うが、これは東アジアではむしろ例外で、日本以外では中国と同じく「正月」は旧暦で祝う。暦は太陽暦でも、日本以外の東アジアでは、旧暦はもはや使わない「ふるい暦」ではないわけだ。

今の暦と旧暦とのズレ

 今の暦(太陽暦)と旧暦の違いは、太陽暦が太陽の動きだけで毎月の長さを決めるのに対し、旧暦は太陰(月)の満ち欠け(朔望)によって暦月を立て、太陽の運行に合わせてつくられているということだ。

 よく旧暦は「太陰暦」という誤解があるが、月の満ち欠けだけで決める「太陰暦」とも違う。太陽の動きも考慮して閏月を入れているから「太陰太陽暦」というのが正しい。

 地球は太陽の周りを約365日で1周するが、月の満ち欠けの周期は29日で、365÷12=約30日より短い。月の満ち欠けで1か月の長さを決めると、1年は

 約29.5日×12ヶ月=約354日

となる。そうなると太陽暦太陰暦では1年後の同じ日の地球の位置は

 365日−354日=約11日

のズレが出る。放置すれば太陽との位置関係で決まる春夏秋冬の季節と月がずれていくので、旧暦では2〜3年に1度(正確には19年に7度)「閏月」を置いて、太陽の運行とのずれを修正する。

 閏月が入った旧暦の1年は

354日+約30日=約384日

となるから太陽暦から見ると、閏月の入った翌年は

384-365=約19日

後にズレることになる。

 ということで、旧暦の1月1日、つまり春節が始まる時期(太陽暦)は閏月のない年の翌年は前年より約11日早まり、閏月が入った年の翌年は前年より約19日遅くなる。最近の春節は、
2018年:2月16日(+19日)
2019年:2月5日(-11日)
2020年:1月25日(-11日)
2021年:2月12日(+18日)

に始まっているが、2020年には旧暦では閏月があり、21年の春節は2月12日から始まる。来年なら、中国当局は今年のように春節休暇を延長しなくても、「民族大移動」が始まる前に流行を抑え込むことができたかもしれないことになる。

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それぞれの暦にはよいところも

 「毎年日付がズレるのは面倒だ。中国も日本のように太陽暦の1月1日に祝うことにすればいいのに」と思いがちだが、旧暦には旧暦の良いところがある。

 月の満ち欠けに連動して起きる自然現象はいつも同じ日に来る。年に1回の中国銭塘江の大逆流は潮の干満の差が原因で起きるが、旧暦では毎年中秋の名月の翌日、旧暦の8月16日に起きる。この日は1年で最も干満の差が大きい大潮の日なのだ。

 潮の満ち引きは産卵や生殖と関係があるとされ、生き物の生態を知るには便利だ。とはいえ四季がはっきりしている東アジアでは季節間との調整が必要になるから太陰太陽暦を採用したのだろう。

 砂漠が多くはっきりした四季がないイスラム圏では閏月を入れない「太陰暦」を使っていた。さらに付け加えると、太陽暦をつくったエジプトでは、ナイル川の氾濫は太陽の動きに連動し、月の満ち欠けには全く関係なく起きるという。それぞれの暦が使われてきたのには、それぞれの理由があるのだ。

日本の太陽暦移行の隠れた理由 

 では、日本だけがなぜ正月を太陽暦で祝うようになったのか。その前に、日本の太陽暦導入の経緯を振り返っておく。

 日本が太陽暦を採用したのは、明治5年(1872)11月9日の改暦の詔書による。1年を365日とし、それを12月に分け、4年毎に閏年をおくこと、1日を24時間とすること、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年(1873)1月1日とすることが突然決められた。

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改暦の詔書国立公文書館蔵)

 改暦は文明開化で推進された欧化政策の一環だが、あまりに急な決定だった。推進した大隈重信(1838〜1922)は後に『大隈伯昔日譚』で、「改暦の理由は財政問題だった」と述懐している。

 旧幕府時代は官吏の俸給が年俸制だったが、維新後は月給制になったため、閏月がある年には1か月分、余分の出費が必要となった。

 旧暦では明治6年に閏月がある。暦を明治6年から太陽暦に変えれば、明治5年12月は数日で終わり、明治6年の閏月(6月)の計2か月分の月給を払わなくてすむ。「此閏月を除き以て財政の困難を済はんには、断然暦制を変更するの外なし」との結論に至ったという。当時、大隈は留守政府の財政責任者だった。

 突然の改暦には不満も出たが、福沢諭吉(1835〜1901)はすぐに『改暦弁』という太陽暦の解説書を出版して改暦を支持した。この本は大ヒットし、本の売上げで慶応義塾の経営状態が改善したという。早稲田大学を創立する大隈が、慶応の福沢を救った逸話として知られている。

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大隈重信(左)と福沢諭吉国立国会図書館蔵)

 大隈が強引な手法で太陽暦に改めてからも、年中行事は他の東アジアの国と同じく、旧暦で行われていた。年中行事を行う日をいまの暦(太陽暦)の日とみなして行うのが定着したのは、戦後のことだといわれる。

 太陽暦を使いながら年中行事の日を変えなかった他のアジア諸国と異なり、古来からの年中行事の日は太陽暦のこの日、とみなしてずらしていったのは、やはり日本全体が西洋と、西洋の合理主義を取り入れ続けたことと無縁ではないだろう。

 コロナウイルスも生物とすれば、その営みと関係があるとされる旧暦の方がその流行と周期があっていたのか。西洋の合理主義から見ればナンセンスなつぶやきだが、先人が積み上げてきた暦からは、そんな神秘を感じてしまう。

*その後の情報を受けて内容を更新しました。

 

 主要参考文献

小島穀『織田信長 最期の茶会』(2009、光文社新書

 

maruyomi.hatenablog.com

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