今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

「Fukushima50」を観て考える「10M」と「400年」

 東日本大震災から9年が経過した。福島県双葉町大熊町にまたがる東京電力福島第一原子力発電所(イチエフ)で起きた事故と、迫りくる「チェルノブイリ×10」の危機と闘った吉田昌郎まさお(1955~2013)所長らの姿を克明に描いた映画「Fukushima50」が公開された。

      

                  

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 2020年2月に日本記者クラブの取材団に参加し、そこで見てきたことも加えて、そもそもイチエフはどうしてあの地に建ったのかについて振り返った。原作となった『死の淵を見た男』(角川文庫)の著者、ジャーナリスト、門田隆将かどたりゅうしょうさんとラジオ番組で共演し、インタビューして記事にまとめた。

 読売新聞オンラインwebコラム本文

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 吉田らのインタビューをもとに、あの時、何があったのかを描いたという意味では、『死の淵を見た男』の右に出る作品はないと思う。門田さんはこの本のなかで、事故の最大の原因は「海面から10mという高さに対する過信だった」と記している。

 致命的だったのは、原子炉を冷やす非常用電源が「十円盤(「10Mの敷地」の意味)」のタービン建屋の地下に設置され、津波で全電源を喪失してしまったことだ。この点については政府や国会、東電などの事故調査委員会がさまざまな報告書を出し、東電旧経営陣が強制起訴された訴訟でも焦点になっている。

 コラムも門田さんへのインタビューも、その点に多くの行数を割いた。2月上旬に日本記者クラブの取材団に参加し、廃炉作業が続くイチエフを取材し、高低差も実感してきた。

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門田さん(左)にインタビューを終えて

 改めて津波対策の経緯を見る 

 今後30~40年続く廃炉放射線との闘い、さらには福島の復興の闘いは、まだ現在進行形の話で、事故についても歴史として語るには早すぎる。しかし、イチエフ建設とその後の津波対策の経緯は、歴史というより教訓として記録されなければならない

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 *O.Pは小名浜福島県いわき市)での平常水位

 東電の事故調査報告書にある津波対策の経緯表をみると、設置許可が出た時の波高の推定は3.122m。何と地球の裏側で起きたチリ地震津波しか想定していない。

 その後、東電は何度もイチエフの津波評価をやり直しており、明治三陸津波貞観地震も想定した再評価を行っている(上表左端)が、波高が10mを超えることはなかった。

 一方、表右端の東北電力女川原発は再評価をしていないことがわかる。最初から波高が高い津波を想定して設計していたからだろう。所長になる前から吉田にはイチエフの津波推計が甘すぎるという疑念があったというのもうなずける。

 さらにコラム本文に記した土木学会の「8つの波源」についても、2002年の「津波評価技術」からその位置を示すと、こうなる。吉田が福島沖に波源はないとした見解にも疑念を抱いていた。

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土木学会報告(2002年)にある8つの波源

「後講釈だ」だけで片づけてはいけない

 コラム本文で経緯を記した通り、イチエフは津波に強い地点を選んで作られたわけではない。地元と地主、東電、福島県、米ゼネラル・エレクトリック(GE)、さらには日米の規制当局の思惑が一致して建設された。

 だから津波が来ることは十分予測できたのだ」というのはやはり無理があり、あの地震が起きたから言える後講釈だといわれても仕方ない。

 だが、その意味では日本原子力産業会議が1号機稼動前年の昭和45年(1970)にとっていた見解も、イチエフ建設が進む中ででてきた後講釈といえるのではないか。

原産会議の「原発の敷地周辺で著しい被害を及ぼした地震はなく、強震(当時の震度5)以上は150年に1度、烈震(当時の震度6)以上は400年に1度しか起きない」という見解には、肝心の起点がない。

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現在のイチエフ全景(模型、福島県富岡町の東電廃炉資料館で)

 

「しか来ない」と「も来る」の雲泥の差

 400年に1度しか来なくても、400年前に来ていればそろそろ危ないことになるのに、そのことが真剣に吟味された形跡はない。実際には東日本大震災のちょうど400年前の慶長16年(1611)には慶長三陸地震が起き、福島県にも大きな津波が出ている史料もあった。

 しかし、政府の中央防災会議は2006年、慶長三陸地震を「地域の防災計画の検討で留意」すればよいとして、国の防災対策の対象から外していた。400年に1度「しか来ない」は「も来る」と解釈しなければいけなかった。

 せっかくの教訓が後講釈とさえないように、「10m」と「400年に1度」という2つの数字の持つ意味を心に刻むべきだ。

津波対策は今でも足りない

 内閣府有識者検討会が2020年4月21日に公表した日本海溝と千島海溝沿いを震源とした巨大地震の予測では、福島第一原発に13.7mの津波が到達し、建設中の防潮堤(海抜11m)を上回ると見積もられた。

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  東電は千島海溝の地震対策として、独自に高さ10.3mの津波を想定し、防潮堤の高さを海抜11mとしていた。しかし、日本海溝も加えた検討会の想定では、津波は事故で壊れた1~4号機原子炉建屋の北側(福島県双葉町)に到達し、敷地南側に設置済みの防潮堤では防げない。

 この防波堤は私も実際に見てきたが、見上げるような高さのものではなかった。

 防波堤とは別に、東日本大震災並みの13.5mの津波を想定して計122か所で防水工事も進めているが、完工予定は2021年度末だ。

 4基がある敷地は海抜8.5mで、建屋などには放射性物質が混じった汚染水や汚泥がある。東電は、防水工事の前倒しも含め、対応を考えるという。急ぐ必要がある。

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◎2020『Fukushima50』制作委員会

*2020年4月21日の内閣府検討会の公表を受けて内容を更新しました。

 #Fukushima50 #福島 #原子力発電所

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