東日本大震災と福島第一原発事故の影響で最後まで不通だったJR常磐線富岡―浪江間が運転を再開し、常磐線は9年ぶりに全線が開通する。上野ー仙台間を走る特急「ひたち」も復活する。常磐線130年の歴史を震災復興とは別の角度から振り返り、全線開通の意味について考えた。
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2月に日本記者クラブ取材団に参加して福島の現状を取材した2本目の記事だ。福島第一原子力発電所について書いた記事もよろしければお読みいただきたい。
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双葉駅は立派に建て直されたが...
上の動画は常磐線双葉駅と常設駅に格上げされるJヴィレッジ駅を通過する657系と651系だ。双葉町はまだ大部分が帰還困難区域だが、駅は建て直され、除染が完了した駅周辺は避難指示が解除されている。とはいっても本格的に住民の帰還が始まるのは2022年以降になる。駅が復旧しても復興はまだ、これからだ。
動画後半の楢葉町のJヴィレッジ駅ホームは、工期短縮のため発泡スチロールを積み上げて土台にしている。これでも強度は十分だという。東日本大震災前まで特急車両だった651系は、地元の要望もあって普通列車として運行されている。
双葉駅の動画を見ると分かるが、手前の線路が取り払われている。震災前はこの区間は複線区間だったが、単線で復旧された。
列車の本数を考えれば単線でも問題はなかったのに複線化されていたのは、効率的な石炭輸送をするためだ。さらに東北本線を補う東京から北へのバイパスとして、長距離特急の高速運転が行われていたことも理由だった。
動画で走行しているE657、651系はいずれも交流でも直流でも走れる交直両用車だ。コラム本文では触れていないが、鉄道好きならこの理由はご存知だろう。
なぜ直流区間と交流区間があるのか
電車の動力源となる電源には直流と交流がある。むかしは直流が主流だったが、常磐線は東京から取手までは直流、藤代から先は交流区間で、 取手と藤代の間に電流の交直切換地点(デッドセクション)がある。常磐線は通勤車両の531系も交直両用車両となっている。
これは柿岡に気象庁の地磁気観測所があり、 ここから半径35km以内に直流の大電流を流すと地磁気の観測に影響を与えてしまうためだ。交流電源にも長所はあるが、交直両用車は1両の価格が高い(今ではさほど差はないらしいが)。常磐線の近代化が遅れた一因にあげる人もいる。
地磁気観測所はもともと東京にあったのだが、都心の電力消費が増えたため柿岡の丘陵地帯に移転された。柿岡が選ばれた理由は「この地は将来も電力を使うようなことはないだろうから」だったという。
コラム本文では片寄平蔵(1813~60)から始まる常磐炭田が、東京(中央政府と大企業)の政策や都合に翻弄されてきた経緯を書いたが、交直両用車両しか直通運転ができないというのも「東京の都合」といえる。
東京の都合に翻弄されてきた福島
常磐炭田も京浜工業地帯とともに発展したといえば聞こえはいいが、エネルギー政策の転換で炭田は切り捨てられてしまっている。
福島県が原発を誘致してエネルギー供給源であり続けようとしたのは、エネルギーを求めて工場が誘致できると考えたからで、福島第一原発を誘致した木村守江(1900〜96)でも県議会で原発を核に工場誘致を進めると表明している。しかし、原発は工場を呼び寄せることはできず、結局は地元に甚大な災禍をもたらした。
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復旧した常磐線は復興の動脈という重要な役割を担う。東京の意向に振り回されることなく、活用法を考えなければならない。常磐線を単なる赤字ローカル線にしてしまうようでは、福島主体の復興など、できるはずがない。
maruyomi.hatenablog.com
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