今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

100年前のパンデミック再来か コロナ猖獗極める

 コロナウイルスパンデミックが止まらない。流行の中心は中国から欧米に移り、奥州はイタリア、フランス、スペインを中心に国ごとほぼ閉鎖という状況になっている。日本でも感染者も中国からの帰還者より欧州からの帰還者が目立つようになってきた。

読売新聞オンラインwebコラム本文

 ↑クリックし、読売新聞オンラインの読者会員登録をするとお読みになれます

 こうなると、経済的な影響も甚大だ。世界的な株価の急落はその端緒で、実体経済にも効いてくるだろう。こうなると。今からちょうど100年前に起きたスペイン・インフルエンザ・パンデミックを経済的な側面からも振り返る必要がある。

 ちょうど100年前のバブル崩壊

 市場にコロナ禍の前から市場にはバブルの膨張を懸念する声があったことを踏まえると、コロナショックで資産バブルの崩壊が始まったと考えた方がいいかもしれない。

 となれば、流行がおさまれば株価が元に戻るというのは楽観的に過ぎる。何の因縁か、ちょうど100年前の大正9年(1920)3月15日、東京株の主要銘柄は暴落し、第一次世界大戦バブルの崩壊が始まっている。

 第一次大戦で欧州の工場は稼働力が落ち、日本に注文が集まったことで、当時の日本はこの直前まで日本では輸出主導の好況が続き、「成金」が続々登場していた。

f:id:maru4049:20200318185551j:plain

大正時代に描かれた成金の姿(『甘い世の中 鳥平漫画』国立国会図書館蔵)

 第一次大戦は日本でスペイン・インフルエンザの本格的な流行が始まった大正7年(1918)11月に終結したが、その後も好況は続いた。株式市場でも「欧州の生産回復はまだ先で、回復しても日本は中国市場を押さえたから大丈夫」といった楽観論が支配的だった。

 スペイン・インフルエンザが経済を動かした?

 しかし、欧州の生産が回復するにつれて日本からの輸出は減り、工場は過剰在庫を抱えてしまった。欧州の生産回復が予想より早かったのは、スペイン・インフルエンザが関係している

 そもそも第一次大戦は、スぺイン・インフルエンザの大流行で終結が早まった。終結後に流行はピークアウトし、欧州は比較的早く生産力回復に取り組める状況が整っていた。

 それを読み間違えた日本の株式市場ではバブルが崩壊した。日本でのスペイン・インフルエンザの流行は欧州より半年ほど遅かった。相場の懸念材料とならなかった背景には、このタイムラグもあったかもしれない。

f:id:maru4049:20200318191851j:plain

当時の株価チャート(『東洋経済株界二十年 大正15年版』国立国会図書館蔵)

 コラム本文でも書いたが、皮肉なことに日本ではスペインインフルエンザの流行期間中に株価が上昇し、流行が終息とともに一転して急落している。

 日本でのスペイン・インフルエンザの流行とバブル崩壊は無関係にも見えるが、これは世界的な流行と日本の流行のピークのタイムラグが関係しているとも考えられる。

 パンデミックの落ち込みの大きさは終息後の回復の早さとイコールでもある。パンデミックの間接的な影響を受けたと考えていいのではないか。

 この急落以降株価は低迷し、大正12年(1923)の関東大震災、さらには世界大恐慌とショックが続き、金本位への移行といった経済失政も加わって、結局第二次世界大戦まで本格的には回復しなかった。

f:id:maru4049:20200318185706j:plain

マスクをかけた米シアトルの警察官


パンデミックを「はやりかぜ」と軽視

 スペイン・インフルエンザは当時の新型インフルエンザだったわけだが、当時の新聞報道を見ると、特に最初のうちは世界的流行に対する危機感が見受けられない。江戸時代は鎖国していたにもかかわらず、記録を見ていくと、あわせて27回ものインフルエンザの流行があったという。

f:id:maru4049:20200318172605j:plain

 上の表でも分かるが、インフルエンザは外国からくるもの、という認識は古くからあった。つい最近まで使われていた「流行性感冒(略して流感)」の「感冒」という呼び名も中国からの「外来語」だ。

 開国したら外国からウイルス(当時は細菌と思われていたが)の移入は当然予想されたはずだが、水際での検疫などが強化されなかったのは、たかが「はやりかぜ」という認識があったからではないか。

 無理もない。インフルエンザに罹ったら会社を休むというのが徹底されるようになってきたのは、ここ10年程の話だろう。

f:id:maru4049:20200318185855j:plain

インフルエンザの予防を呼びかけるポスター(『流行性感冒国立国会図書館蔵)


必ず終わるが、必ずまた来る

 流行のピークを低く抑えれば死者は減る。今はあらゆる努力が必要だが、不幸にして抑え込みに失敗しても、新型コロナ肺炎の流行はいずれ必ずおさまり、人類が滅亡するわけではない。

 だが、コロナショックが終息しても、いつか必ず次の新型ウイルスの流行がやって来る。今回の新型コロナ対策が、グローバル社会・経済下でのパンデミック対策の試金石になることは間違いない。

 ↑クリックし、読売新聞オンラインの読者会員登録をするとお読みになれます

 

 中国から日本への感染流入の防止が主眼だった時に、江戸虎列刺(コレラ)の教訓を調べ、もし流行があと1年遅かったら、世界中にウイルスがばらまかれることはなかったかもしれないという話も紹介した。それから状況は変わっているが、よろしければあわせてお読みいただきたい。

maruyomi.hatenablog.com

ランキングに参加しています。お読みいただいた方、クリックしていただけると励みになります↓

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村


日本史ランキング


人気ブログランキング