今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

人気の『流人道中記』に仕込まれた史実と幕末の空気

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言が、「特定警戒」に指定した茨城、石川、岐阜、愛知、福岡の5県を含む39県で解除される。

 だが、北海道、東京、神奈川、千葉、埼玉、京都、大阪、兵庫の8都道府県では緊急事態が維持される。解除される34県でも一気に緩んでしまってはこれまでの我慢が水の泡になる。大型連休中の旅行を我慢した人も多いだろうが、行楽はもう少しお預けだ。

  

 「こんな時には家で読書をしよう、どうせなら旅気分を味わいたい」と思った人向けに、読売新聞朝刊に連載され、3月に本になった浅田次郎さんの時代小説、『流人道中記』(中央公論新社)を紹介したい。

読売新聞オンラインコラム本文

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『流人道中記』玄蕃と乙次郎の25泊の奥州道中

  玄蕃の人柄に惹かれていく乙次郎

 物語は蝦夷えぞ松前への「永年お預け」(流罪)を命じられた旗本・青山玄蕃げんばと、押送おうそう(護送)役の若い見習与力、石川乙次郎おとじろうの奥州の旅を描く。玄蕃は2人が道中で遭遇する事件を鮮やかな機転で解決する。

 当初は罪を犯しながら切腹を拒んで流人に堕ちた玄蕃を軽蔑していた乙次郎だが、威張らず、優しさに満ちた玄蕃に次第にかれていく。玄蕃は本当に罪を犯したのか。なぜ切腹を拒んだのか。旅が進むにつれてその謎が明らかにされていく。

 新聞の連載は昨年秋に終わったが、いま単行本を読んでいる方も多いだろうから、コラム本文でもネタバレは避けている。だが、時代小説だから史実に沿わない物語だろうというのは間違いだ。

 さすがは浅田さん、実によく調べて描いている。玄蕃を永代預かりにした3人の奉行は実在するし、作中に出てくる「不義密通」「人相書」「飯盛宿」「敵討ち」「宿村送り」「江戸の少年法」などの制度は実際にあった。

 小説だから、むろん細かいところにフィクションはある。人相書の似顔絵がそのひとつだ。人相書に似顔絵が描かれるようになったのは明治の初めで、江戸末期は特徴を箇条書きにした文章が基本だった。西郷隆盛(1828〜77)の似顔絵が描かれた安政年間の人相書を博物館でご覧になった方がいるかもしれないが、あれば後世の偽書とされている。

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    江戸時代の人相書(『撰要永久録 御触事之部』東京都公文書館蔵)

今に通じる閉塞感

 物語全体を覆っているのは、今につながる閉塞感だ。玄蕃は確かに機転を利かせて作中に登場する人々を救うが、完全なハッピーエンドで終わるエピソードはひとつもない。2人とも剣の腕は立つが、大立ち回りも演じない。読者には不満が残るかもしれない。

 だが、この閉塞感こそ、幕末を覆っていたであろう空気を反映している。「不義密通」「人相書」など、物語に登場する「法」は幕府の基本法典「公事方御定書くじかたおさだめがき」に定めがあるが、これは2人の道中の100年以上前の寛保2年(1742年)、享保の改革を推進した8代将軍徳川吉宗(1684〜1751)が編纂したものだ。「宿村送り」にいたっては元禄の世、5代将軍徳川綱吉(1646〜1709)の「生類憐みの令」に遡る。

 だが、玄蕃は古くなった法令でも有効な限りは従う必要があると考えた。時にはそれが「礼」(道徳)をも阻害するが、仕方がない。もともと人々が「礼」を忘れたから「法」ができたのだから。

 この玄蕃の思想は、どこか今に通じるところがある。新型コロナによる自粛だけがその原因ではないだろう。経済政策にしても民主主義にしても、これまで世界を動かしてきた法制度が制度疲労を起こし、行き詰まっている今の世相を反映しているように思えてならない。

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岩見重太郎(左)が主人公の歌舞伎絵(大阪錦絵『 岩見武勇伝五』国立国会図書館蔵〕

敵討ちが日本で人気のワケ

 作中に「敵討ち」に遭遇した玄蕃が「今時敵討ちとは珍しい」と興味津々に語る場面があるが、日本人は敵討ちが大好きで、幕末にも歌舞伎などで盛んに上演されていた。特に読本よみほん、講談などで人気があったのが。安土桃山時代の伝説的豪傑、岩見重太郎だ。

 岩見は諸国を武者修行し,狒狒ひひや大蛇退治などで勇名をとどろかせた後、天橋立で父の仇、広瀬軍蔵を討ったとされる。やがて豊臣家に仕え薄田兼相すすきだかねすけ(?-1615)になり、大坂夏の陣で豊臣方として戦い、戦死したという。

 ほかにも曽我兄弟の仇討ちや「忠臣蔵」など、家や主君の面目や大義を重んじる話はとくさんある(ただし、忠臣蔵のもとになった赤穂事件は、当時の法令上は敵討ちではない)。

最も閉塞感を感じていたはずの玄蕃が...

 古い法の縛りを受け、閉塞感とともに暮らしていた当時の庶民には、不正を働いた者を懲らしめてスカッとしたい、言い換えれば勧善懲悪によってストレスを発散したいという空気があったはずだ。

 しかし、蝦夷への押送りという法の矛盾を感じていたはずの玄蕃は、「敵討ち」の討ち手と仇をうまく捌く。だから読者はその知恵と手際に唸るのだ。

 「法」と「礼」は自粛中の今だからこそ、胸に響く。実話かもしれないと感じるほどの浅田さんの筆力は、「外出自粛が解けたら遠出しよう」と読者に思わせるには十分すぎる。

 

 

maruyomi.hatenablog.com

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