撮り直しでスタートが2週間遅れ、新型コロナの影響で2か月半も放送を休んだNHK大河ドラマ『麒麟がくる』が、いよいよ完結する。
2月7日放送予定の最終回(第44回)「本能寺の変」まであと2回。クライマックスが近づくにつれ、ドラマでは「月」に絡んだ描写が増えていることから、こんなコラムを書いてみた。
読売新聞オンラインコラム本文
↑読売新聞オンラインに読者登録すると全文がお読みになれます
月が強調され、何度も登場する「桂男」
第41回「月にのぼる者」では、坂東玉三郎さんが演じる正親町天皇(1517~93)が、内裏で長谷川博己さん演じる明智光秀(?~1582)と月見をしながら「桂男」の話をする。
桂男は第36回「訣別」でも、光秀が木村文乃さんが演じた妻の煕子とともに、坂本城で琵琶湖を眺めながら詠じた歌「月は船 星は白波 雲は海 いかに漕ぐらん桂男は ただ一人して」のなかに登場した。
桂男とは、古代中国・唐の時代に書かれた『酉陽雑俎』に登場する伝説の人物で、本名を呉剛という。月の宮殿にある桂の木の花に不老不死の効能があると知った呉剛は、満月の日だけにかかる梯子を使って月に昇った。だが、花を独り占めしようとして、すべて木からふるい落としたために神の怒りを買い、罰として高さ500丈(約1500メートル)もある桂の木を斧で伐ることを命じられる。しかし、斧を入れても切り口はすぐに塞がってしまう。呉剛は桂の木を伐り続け、月に閉じ込められてしまった――というのが伝説のあらましだ。
ドラマの中で正親町天皇(帝)は、「あまたの武士たちが月に昇るのを見たが、この下界へ帰ってくる者はなかった」と語り、染谷将太さん演じる織田信長(1534~82)が道を間違えぬよう、光秀に「しかと見届けよ」と命じる。このシーンはドラマ上の創作だが、桂男は富や権力を独り占めしようとする権力者、つまり信長を指しているのだろう。
一方、光秀と煕子が坂本城で詠んだのは『梁塵秘抄』に収められた今様(歌謡曲)が出典。こちらも一人で月の船を漕ぐ桂男を信長とすれば、「一人ではどこへ漕ぎだすか分かったものではない。私が補佐しなければ」という光秀の決意が込められているとも取れる。
ちなみにこの歌の桂男を「美男」と読み替える向きもあるが、桂男→月の象徴→美男と転じるのは江戸時代になってからのようだ。筆者は光秀の時代には、この歌は「美男子がどちらの女性に漕ぎだすのか」とはやす恋歌ではなかったと思っている。
当日、本能寺の上に月はなかった
本能寺の変が起きた天正10年(1582年)6月2日は当時の西暦(ユリウス暦)では6月21日、今の西暦(グレゴリオ暦)では7月1日。「今の暦では6月21日の夏至に起きた」と勘違いする向きが多いが、ローマ教皇庁は本能寺の変が起きた1582年10月に西暦をユリウス暦からグレゴリオ暦に切り替えているので、今の暦なら7月1日になる。
それでも夏至に近いのは確かだから、日の出は早い。だが、旧暦(太陰太陽暦)は月の初めは新月(朔)から始まる(だから「新月」なわけだが)から、日の出前は真っ暗闇だったことは、科学的に断定できる。漆黒の夜陰に紛れて1万余の大軍を移動させ、空が白んで周囲がはっきり見えるが相手はまだ寝ている未明に襲う――光秀は暦=月を味方につけることまで計算していたのではないか。
逆に信長は、暦を敵に回したともいえる。前日に起きた日食をみて、京暦(宣明暦)を廃止し、自らの領国などで使われていた三島暦を採用するよう求めて、朝廷と対立していたからだ。
暦問題は史実の裏付けがある
暦(太陰太陽暦)の話は、当ブログでもたびたび書いている。本能寺の変との偶然にしてはできすぎた暦との縁についてはコラム本文に詳しく書いているが、①当時の暦は月の満ち欠けで決められ、月は暦の象徴だった②信長は朝廷が定めた宣明暦を変えるよう求めていた③前日に京都では日食が観測されたが、信長はこれを予想できなかった朝廷を責めていた④しかし朝廷は、大権である暦の制定権を手放す気はなく、信長の要求を却下しようとしていた――ことは、ほぼ間違いない。暦をめぐる信長と朝廷の軋轢は公家の日記など一次史料にも記されている。
暦の改変は信長の非道のひとつだった?
だとすれば、ドラマに唐突に、しかし何度も桂男を登場させた意味も分かる気がする。桂男は富や権力を独り占めしようとする者の象徴で、光秀はその非道を阻止しようと本能寺の変を起こしたという筋書きはあり得る。『麒麟がくる』の時代考証を務める静岡大学名誉教授の小和田哲男さんは「非道阻止説」を唱えている。
むろん、以上は筆者の勝手な憶測ではある。光秀が6月2日に信長を襲ったのは暦とは関係なく、「信長が少人数の兵力しか連れずに本能寺に宿泊していたから」「翌3日に四国にわたることになっていた織田信孝(1558~83)率いる四国討伐軍を止めるためだった」という方が、はるかに説得力がある。
いずれにしても、『麒麟がくる』が本能寺の変をどう描くか、楽しみだ。本能寺の変については『麒麟がくる』の最終回を見終えてから、もう一度取り上げる予定にしている。
note.com
ランキングに参加しています。お読みいただいた方、クリックしていただけると励みになります↓
にほんブログ村
日本史ランキング