今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

この世をば…「望月の歌」を巡る新解釈とは

 「平安」時代という名前や「貴族の世の中」というくくり」が影響しているのかもしれない。ちょうど1000年前、平安時代の貴族は優雅で安定した時代を 謳歌おうか していた、というのが多くの人の印象だろう。

 この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば

 あまりにも有名な藤原道長(966~1028)の「望月の歌」だ。当時は摂関政治の全盛期で、道長はその頂点にいた。「この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、すべてが満足にそろっている」――誰もが得意満面な道長の顔を思い浮かべるこの歌に、新解釈が登場した。当時の貴族は本当に優雅な生活をしていたのかも含めて、学説を紹介した。

読売新聞オンラインのコラム本文

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賢人右府・藤原実資道長の駆け引き

 3人の娘を次々に天皇の (皇后、中宮)として権勢をふるった道長には、傍若無人の専横を伝える多くの逸話がある。「望月の歌」は「賢人右府」と呼ばれた藤原実資さねすけ(957~1046)の日記『 小右記しょうゆうき』の寛仁2年(1018年)10月16日の条に書き留められている。月夜に開かれた宴席で、道長は当時右大将だった実資に「今から座興で歌を詠むので返歌せよ」と命じて「望月の歌」を詠んだという。

 実資は「優美な歌で、返歌のしようがない。皆でただこの歌を詠じてはどうか」と呼びかけて、一同がこの歌を数回吟詠したという。実資は故実有職に詳しい当代一流の知識人で、道長びずに意見することも辞さない気骨のある人だった。

 このため、実資が返歌を拒んだのは権勢を自慢する「望月の歌」に内心あきれたからで、とはいえ祝いの席を台なしにするわけにもいかず、やむなく唱和を促した、というのが通説だ。

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    藤原道長(左)と藤原実資(『前賢故実巻6』国立国会図書館蔵)

 

歌は満月の夜に詠まれたのか

 旧暦は月の満ち欠けで暦をつくり、新月から新月までを1か月とする。新月から満月まではその半分。十五夜の月は通常なら満月だ。「望月の歌」が詠まれたのは10月16日の夜で、月は通常なら少しだけ欠けた十六夜いざよいの月となる。

 だが、寛仁2年10月16日夜の月は、天文暦法上は「ほぼ満月」だった。詳しい説明は省くが、旧暦でもいつも15日が満月とは限らない。この日はその特別な日だったという指摘を読者からいただいた。

 新解釈を発表した京都先端科学大学教授の山本淳子さんは、和歌の世界では十六夜の月を満月と詠むのは不自然だという前提に立ち、道長は「望月」に別の比喩を込めたのではないかと考えている。詳細はコラム本文をお読みいただきたい。

道長は病で月が見えなかったという説も 

 新解釈では、歌の意味だけでなく、歌が詠まれた状況もだいぶ変わる。新解釈によって通説が完全に否定されたわけではなく、新たな解釈にはさまざまな観点から異論が出ていることは付記しておく。

 道長はこの時、病で月は見えなかったのではないかという説もある。道長は糖尿病(「飲水」と呼ばれていた)を患っていたという説がある。県力の絶頂にいた道長もさまざまな苦労や不安を抱えていたことはどうやら間違いないようだ。

 2024年の大河ドラマは、「望月の歌」を素通りはできないだろう。この有名な逸話をどのように描くのだろうか。

 

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