今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

名将というより優秀な経済官僚だった河井継之助

 コロナ禍の影響などで公開が3度も延期された映画『峠 最後のサムライ』が公開された。原作は司馬遼太郎(1923~96)の同名小説で、主人公は役所広司さんが演じる越後(新潟県)長岡藩の家老、河井継之助(1827~68)。戊辰ぼしん 戦争のなかでも最大の激戦とされる北越戦争で、数に勝る新政府軍をさんざん苦しめた幕末の風雲児だ。映画を観たうえで、継之助の決断について考えてみた。

読売新聞オンラインのコラム本文

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河井継之助河井継之助伝』国立国会図書館蔵)

非戦から開戦に…藩内は一枚岩ではなかった

継之助は旧幕府軍会津藩など東北諸藩軍(映画では東軍)にも新政府軍(同じく西軍)にも くみしない「非戦中立」を掲げるが、その願いがかなわないと知ると、藩をあげて新政府軍と戦う道を選ぶ。一度は失った長岡城を奪還するなど善戦するが、数で勝る新政府軍の反撃を受けて敗走し、会津に逃れる途中に戦いで受けた傷が悪化して力尽きる。

 映画は司馬の小説通り、継之助を誇り高きサムライとして描く。しかし、継之助が戦う道を選んだ結果、長岡は焦土と化し、多くの領民が命を失い、家を焼かれた。原作も映画も描いていないが、戦いの最中には戦争継続に反対する藩内の農民が一揆をおこし、少なからぬ藩士が継之助と たもとを分かち、新政府軍に投降している。

 司馬は「新政府軍に恭順しても会津との戦いの先兵に回されるだけだった」と説明しているが、同様の立場に追い込まれた仙台藩は、あらかじめ会津と示し合わせて戦うふりをして窮地をしのいでいる。

藩政改革で戦力を過信?

 歴史家の安藤優一郎さんは著書『河井継之助』のなかで、継之助が開戦に転じたのは継之助の「過信」が原因、と分析している。藩政改革による富国強兵に成功した継之助が藩の自衛力に自信を持ち、自分なら新政府と会津の和解も周旋できると過信した、というわけだ。

 開戦直前、新政府軍と長岡藩軍がにらみ合う中で行われた 小千谷おじや・慈眼寺での談判で、河井は新政府側の軍監、岩村精一郎(1845~1906)を相手に「今は内戦で国土を疲弊させる時ではない」と力説し、自分が新政府と会津の和平を取り持つと申し出た。

 精一郎は全く聞く耳を持たず、総督府への嘆願書の取り次ぎも拒んだことはのちに非難される。だが、精一郎は「談判で継之助は 傲然ごうぜん たる態度を取り、議論で圧服しようとした」と釈明している。若い精一郎を議論で打ち負かそうとしたなら、自らの力を過信した継之助にも非があったことになろう。

継之助は名将ではなく能吏だった

 実は継之助は名将としてより、経済官僚としての手腕の方が際立っているのだが、映画では戦争以前の継之助の活躍をほとんど描いていない。

山田方谷(『河井継之助伝』国立国会図書館蔵)

 継之助は、不遇の時代に備中(岡山県松山藩の財政を立て直した陽明学者の山田 方谷ほうこく (1805~77)から、財政再建の極意を学んでいた。方谷から学んだ藩政改革の極意は「規律を整え、賄賂や 贅沢ぜいたく を戒め、倹約により質素な生活を奨励する」。一見すると 手垢てあか が付いた手法に見える。しかし、継之助は方谷の教えをさらに進化させ、今でも通用する政策を導入している。

職業訓練格差是正…いまでも通用する経済政策

 賄賂や接待の禁止は綱紀粛正以外に、代官が年貢徴収に手心を加えることを防ぐ増収策だった。賭博をした罪人を「寄せ場」に集め、働かせて手に職をつけさせたのは今で言う就業支援だが、出所時に寄せ場での労役賃を支払い、就職先が見つかるまでの生活費まで手当てしている。家禄の改正では 扶持米ふちまい の総額を減らすだけでなく、100石を基準に上役の家禄を大幅に削り、下役の家禄は広く薄く増やして平準化に努めている。歳出削減と藩士格差是正、さらに門閥の弱体化による藩主の権力基盤強化という「一石三鳥」の効果を狙ったとみられている。

 増収の大半は米や銅貨を安く買い、高い地域で売りさばく「財テク」だったとみられるが、継之助はこれだけ多くの改革を一度に進め、師匠の方谷が7年かかった藩の財政再建を約2年で達成した。継之助の日記『 塵壺ちりつぼ』によると、方谷は改革の極意を学んで帰藩する継之助に「改革の成果を口にせず、自然と成果が伴うよう心がけよ」と忠告している。自らの手腕に自信を持ち、成果を急ぐ継之助に危うさを感じていたのだろう。

小川正太郎筆「最後に見た河井さん 」国立国会図書館蔵)

焦土、朝敵となった長岡藩を引き継いだ2人

 継之助亡き後、長岡の再興は継之助の幼なじみだった川島(三島)億二郎(1825~92)と小林虎三郎(1828~77)に託された。映画では榎木孝明さんが演じる億二郎は新政府への恭順を主張していたが、小千谷談判の決裂後に継之助から「戦いを避けたいなら、俺の首と3万両を岩村に差し出せ」と言われ、もはや戦うしかないと戦列に加わっている。病弱で戦争に加わらず、映画には登場しない虎三郎も恭順を唱えていた。

 継之助の戦争の後始末を担ったのは、皮肉にも戦争に反対した2人だった。その苦心は有名な「米百俵」の話などの逸話が伝わっている。コラム本文に記したのでお読みいただきたい。

 映画『峠』の公開は、当初は2020年9月の予定だった。3度の公開延期で、継之助の正義の戦いは偶然、ロシアのウクライナ侵略と重なった。映画を見て、継之助とゼレンスキー大統領を重ねる人もいるのではないか。

 今のところ、自衛戦争を戦う正義はゼレンスキー大統領にあるが、時の流れは評価を変える。ロシアのプーチン大統領の理解不能な思考経路も含めて、戦争の裏側に何があるのかにも目を向けなければならない。

 

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