今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

安倍元首相国葬で菅氏の弔辞に引用された『山県有朋』

 安倍元首相の国葬国葬儀)で多くの人の心を打ったのは、菅義偉前首相の弔辞だった。弔辞を読み終えた菅氏に対しては、自然に拍手がわいた。葬儀会場で弔辞に拍手がわくのは異例のことだという。

安倍元首相の国葬儀(首相官邸ホームページより)

衆議院第1会館1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武よしたけ著『山県有朋』です。

 ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのぺージには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を しのんで詠んだ歌でありました。

 総理、いまこの歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

 かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。

 コラムでは、明治42年(1909年)10月、訪露の途中にハルビン駅で凶弾に倒れた伊藤博文(1841~1909)と山県有朋(1838~1922)の関係について紹介した。弔辞からは、友人を突然失った菅氏の喪失感がひしひしと伝わってくる。

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弔辞に第三者の介在や作為はあったのか

 この弔辞についてはゴーストライターがいたのではないか、軍国主義者である山県を弔辞で取り上げることが適切なのかどうか、といった声もある。菅氏が引用した政治学者、岡義武(1902~90)の『山県有朋』は、最後の部分で山県を「彼(山県)の権力意志は支配機構を掌握することへと集中されたのであった。彼は終始民衆から遊離したところの存在であった」と批判している。

 菅氏の弔辞は安倍元首相を伊藤に見立てており、山県を批判することは安倍元首相を貶めることにはならない。山県を引き合いに出したことで評価を貶められる恐れがあるのは山県を自分を重ね合わせた菅氏の方だ。

 菅氏が山県を自分に重ねたのは、伊藤暗殺後の山県の対応と、生前の伊藤の関係、さらには安倍氏の机の上にあった本の折れたページを見つけて運命的なものを感じたからだろう。議員会館の机の上の本を見つけたエピソードが創作でなかったとすれば、という前提が付くものの、筆者は第三者の過剰な作為は感じない。

伊藤博文(左)と山県有朋国立国会図書館蔵)

菅氏の山県に関する評価は正しいのか

 だが、第三者による作為がなかったとしても、①伊藤暗殺後の山県の対応②生前の伊藤の関係、さらには③安倍氏の机の上にあった本の折れたページーーについての菅氏の解釈が誤りなら、弔辞は史実(事実)を踏まえたものとはいえなくなる。それを検証しようというのがコラムの主題だ。

 伊藤暗殺後の山県の対応について、コラム本文では岡の『山県有朋』にある「(山県は)驚愕した」のが本当かどうかを再考した。伊藤と山県の生前の関係について「交友の跡」も振り返った。コラム本文に詳しく記しているのでお読みいただきたい。

読売新聞オンラインのコラム本文

 「政治的交渉」についても検証したが、そこには「折れたページ」の問題があった。菅氏の弔辞にはは「ここまで読んだページが折れていた」とあるが、安倍氏は『山県有朋』を2015年1月に読了したことを自身のフェイスブックで明かしていたのだ。

安倍元首相は7年前に本を読み終えていた

 今日は官邸で開催された来年度予算についての政府与党政策懇談会に出席しましたが、週末三連休、一昨日はゴルフ、昨日はお墓参り。河口湖の山荘でゆっくと過ごしました。その間、読みかけの「岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴」 を読了しました。知人から進められ手に取ったものです。
 明治の元勲で彼ほど嫌われ、同時に自身に権力を集めた人物はいないでしょう。同じ長州人でありながら、路線等の相違から権力闘争の敵対者となる伊藤博文とは対象的です。伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠みその死を悼みました。
 本心だった様に思います。(2015年1月12日)

https://www.facebook.com/photo/?fbid=675347865921993&set=a.132334373556681

 ここからわかるのは、菅氏が「盟友」としていた伊藤と山県の関係を、安倍氏は「敵対者」とみていたということだ。むろん伊藤と山県は時に盟友でもあり敵対者でもあったのだが、強調している側面が180度違う。前述の①②については菅氏の解釈は首肯できるものだったが、③については菅氏の見立て違いで、安倍氏の山県の評価は菅氏とは異なっていたことになる。

読売新聞オンラインのコラム全文

政治家の評価は人による…だから国葬には手続きが要る

 これは政治家の評価の難しさを示しているように思う。安倍氏国葬を菅氏の弔辞を通じて考えるなら、政治家の評価はすぐには決まらない以上、最低限の手続きを踏むべきだったということではないか。政治家の評価は人それぞれでよく、安倍元首相の国葬に異議がある人がいるのは当然だ。だからこそ国会などへの根回し、理解を得るための努力が欠かせなかった。この点は明らかに政府の失策だった。

伊藤の国葬で霊柩を先導する山県(左端)(『故伊藤公爵国葬写真帖』国立国会図書館蔵)

 だが、菅氏の弔辞は歴史に基づいて検証しても、なおいい弔辞だったと思う。さまざまな角度から検証するのはいいことだが、筆者は国葬に反対する動機に位置付ける気にはなれないのだ。

 

 

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