今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

「ラーゲリより愛を込めて」シベリア抑留はウクライナに繋がる

 シベリアの強制収容所ラーゲリ)に抑留された日本人とその家族の壮絶な半生を描く映画「ラーゲリより愛を込めて」が公開された。二宮和也さんが演じる主人公の山本幡男はたお (1908~54)と、北川景子さんが演じる妻のモジミ(1909~92)は実在した夫婦。映画の原作はノンフィクション作家の辺見じゅん(1939~2011)が、モジミが読売新聞に寄せた投書をもとに書き上げた。

 映画と原作をもとに、幡男を通じてシベリア抑留について改めて経緯をまとめてみた。

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終戦直前、満州で家族と生き別れ…

 島根県隠岐島おきのしま に生まれた幡男は東京外国語学校でロシア語を学び、昭和11年(1936年)に妻のモジミとともに満州(現中国東北部)にわたる。南満州鉄道(満鉄)に入社した幡男は旧ソ連の社会、経済、軍事などを調査する部署に配属された。昭和19年(1944年)に軍に召集され、終戦時にはハルビン特務機関に配属されてソ連の新聞や雑誌の翻訳を行っていた。

 幡男は終戦直前に対日参戦してきた旧ソ連軍に捕まり、モジミと4人の子どもと生き別れになってしまうが、モジミとの再会を信じてラーゲリでの過酷な生活を耐える。ソ連側の手先になって仲間の監視を買って出る抑留者もいたというが、幡男はソ連側になびかず、自暴自棄になっていく仲間を「ダモイ(帰国)の日はきっとくる」と励まし続けた。だが、その幡男自身が病魔に襲われ、帰国が難しくなっていく。

 死期を察した幡男は、家族に宛てたノート15枚にも及ぶ遺書をひそかに仲間たちに託す。だが、収容所からは文書を持ち出せない決まりがあり、見つかって帰国が取り消された例もあった。そこで仲間たちは、驚くべき方法で遺書を届けようとする。果たして遺書に込めた幡男の思いは妻子に届くのか、が映画の最大の見どころだ。

ラーゲリより愛を込めて」ポスター

非人道的な扱いはほぼ実話

 収容所では文字を書き残せず、家族と無事を伝え合うだけの葉書(俘虜ふりょ郵便)ですら厳しい検閲を受けていた。ハバロフスクラーゲリで幡男は、収容所で俳句や日本の古典、落語も教えているが、それには「みんなで帰国する日まで美しい日本語を忘れぬように」という狙いもあったという。食べ物や寒さだけでなく、文字を奪い、思想さえ統制しようとする非人道的な仕打ちが続けられていたことには改めて驚かされる。

帰国はなぜ遅れたのか

 もうひとつ、映画を見た多くの人が感じた不合理は、「なぜ幡男たちのダモイがいつまでも実現しないのか」ということではないか。シベリアに抑留された約60万人の日本人のうち、飢えと寒さで6万人以上が命を落としたとされるが、これはすべて終戦後に起きたことだ。抑留は「武装解除した日本兵の家庭への復帰」を保証したポツダム宣言や、捕虜の扱いを定めた国際法に明確に違反している。しかも、抑留者は日本軍将兵だけでなく、未成年者や民間人も多く含まれていた。戦時中でも違法なことが、なぜ終戦後もまかり通ったのか。

 抑留がなぜ起きたのかについては以前にも紹介した。

 今回は、抑留者のダモイが遅れた理由を深掘りしたい。

スターリン

遅れていたシベリア極東開発 

 ソ連の最高指導者、スターリン(1879~1953)は対日参戦で日露戦争や日本のシベリア出兵に対する“報復”をしようと考えていたともいわれている。抑留の秘密指令ソ連の北海道北部占領を米国に拒絶された直後に出されている。スターリンは抑留者の労働力を領土に代わる“戦利品”と考えていたのではないか。

 スターリン日本兵50万人の抑留を命じた最大の目的は、第2次世界大戦の影響で遅れていた極東開発を進めるためだった。ナチス・ドイツとの戦いでソ連の国土は荒廃し、多くの兵士を失って復興を急ぐための労働力が不足していた。

 抑留者はソ連全土の1200か所のラーゲリに送り込まれており、ラーゲリはシベリアだけでなく中央アジア、さらにヨーロッパに区分されるウラル山脈の西にもあった。短期間に60万人もの人を割り振るのは簡単ではなく、抑留計画は対日参戦のかなり前から計画されていた可能性が高い。

シベリアとウクライナ 抑留の関係

 ロシアがミサイル攻撃を続けているウクライナハルキウにはかつてラーゲリがあり、日本人が抑留されていた。穀倉地帯のウクライナはシベリアより温暖で食料事情がよく、ウクライナの人々は日本人の抑留者に同情して差し入れをしてくれることもあったという。ハルキウの抑留者の死亡率はラーゲリの中で最も低かったといわれる。

 だが、そのウクライナでも1930年代はじめに大 飢饉があり、300万人とも500万人ともいわれる人が亡くなっている。スターリンが5か年計画の名のもとに農業の集団化を進め、自営農家から穀物を強制徴発したり、反対する農民たちを強制移住させたりしたためだ。強引な5か年計画による人災とされる大飢饉は、「飢饉(ホロド)」と「抹殺(モール)」を合わせて「ホロドモール」と呼ばれている。

1932年、ハリコフ州の集団農場から収穫物を強奪するソ連軍(ウクライナ中央情報局)

ホロドモールの大失敗の挽回狙ったか

 シベリア開発計画はウクライナで失敗した5か年計画とほぼ同じ時期に策定されたが、第2次世界大戦で中断されたままになっていた。スターリンが抑留によって強引にシベリア開発を進めたのは、ウクライナでの大失敗をシベリアで挽回するためだったという見方もできる。

 シベリアは第二のウクライナ、抑留は第二のホロドモールだった。それを描いたこの映画の悲劇は史実に基づいている。厳冬期を迎えつつある今のウクライナを第二のシベリアにしてはならない。

 

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