今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

『レジェンド&バタフライ』が描く日本一有名な政略結婚

  

 東映創立70周年記念作品『レジェンド&バタフライ』が全国公開された。天文18年(1549年)に政略結婚で夫婦となった2人が、天正10年(1582年)の本能寺の変まで、乱世を駆け抜けた33年間を描く。織田信長(1534~82)を木村拓哉さん、正室帰蝶きちょう濃姫のうひめ、1535~?)を綾瀬はるかさんが演じている。

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 脂の乗り切った人気俳優のW主演だけでも話題十分だが、総製作費20億円をかけて巨大なオープンセットを組み、国宝を含む全国30か所以上でロケを行った。岐阜城安土城のセットとⅭGはしっかりした考証も経ており、これだけでも見る価値がある。

映画が描く夫婦の物語

 タイトルの「レジェンド」は信長の英雄「伝説」、「バタフライ」は帰蝶の「蝶」。タイトルに2人を並べたのは、この映画が男と女の物語であることを示している。信長と帰蝶との相性は結婚当初は最低最悪だったが、2人は次第に絆を強め、ともに天下統一の夢の実現に邁進まいしんする。戦いに明け暮れるうち信長は人の心を失い、帰蝶も病んでいく。2人が絆の大切さを思い出した時には、本能寺の変が目前に迫っていた――。信長と帰蝶はほぼ全編にわたって登場する。この映画は夫婦の物語なのだ。

『絵本太閤記』が描く信長と帰蝶。2人が1枚の絵に描かれるのは珍しい(国立国会図書館蔵)

天下人の正室は謎だらけ

 帰蝶についての信頼できる記録は極めて少なく、名前すらよくわからない。濃姫という名前は「美濃(現在の岐阜県)から嫁いだ娘」という後世の呼び名に過ぎず、帰蝶という名前にも「胡蝶こちょう」「桔梗ききょう」などの異説がある。天文4年(1535年)に、美濃の戦国大名斎藤道三(1494~1556)と正室小見おみの方(1513~51)との間に生まれたが、「本能寺の変のずっと前に病死した」「本能寺の変の後も江戸時代まで生きた」「道三の死後、織田家にいる意味がなくなって離別した」などの説があり、没年もよくわからない。

父の「国盗りの切り札」として

 だが、帰蝶は父、道三にとって不可欠の「国りの切り札」だったことは間違いない。道三は美濃守護の土岐とき氏の内紛に乗じて勢力を伸ばし、最後は主君だった土岐頼芸のりより(1502~82)を追放して美濃をわが物とするが、頼芸は信長の父の織田信秀(1511~52?)と組んで最後の抵抗を試みる。頼芸に引導を渡したのが道三と信秀との和議成立で、その証となったのが帰蝶の信長への 輿入こしいれだった。

土岐頼芸『英雄三十六歌仙国文学研究資料館所蔵)

 映画では15歳で信長に嫁いだ時、すでに帰蝶は「バツ2」だったという説をとっている。2人の前夫は、美濃の土岐頼香よりたか (?~1544)と土岐頼純よりずみ(1524~47)。縁組はいずれも「下克上」を狙う道三が仕組んだ政略結婚だった。帰蝶バツ2になったのはともに夫がすぐ死んでしまったからだが、刺客を差し向けたり、毒を盛ったりして2人を相次いで殺害したのは道三とみられている。

 『信長公記』は頼純と頼香を兄弟とし、帰蝶は頼純、頼香の順に嫁いだように記しているが、この通りだと2人の没年と矛盾する。そもそもバツ2ではないという説もあるが、バツの数にかかわらず、帰蝶が道三の非情な政略に使われたのは間違いない。当時は政略結婚が当たり前で、帰蝶は父の「国盗りの手駒」となるしかなかった。

斎藤義龍(左)と斎藤道三(『絵本英雄太平記国文学研究資料館所蔵)

信長の重要な戦略パートナー

 美濃を平定した道三は、弘治2年(1556年)に嫡男の斎藤義龍よしたつ(1527?~61)に討たれてしまう。映画の中の帰蝶は、道三の死後は信長の天下取りを支える。今川義元(1519~60)の大軍に攻め込まれて途方に暮れる信長に「こうすれば勝てる」とアドバイスして、永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦を勝利に導く。永禄10年(1567年)に信長が美濃を攻略すると、「休まずに天下を目指せ」と尻をたたく。

 帰蝶は信長にとっても、乱世を生き残るために欠かせない戦略パートナーだった。天文23年(1554年)に信長は尾張(現在の愛知県)に侵攻してきた今川軍と戦う(村木とりでの戦い)が、がら空きになる那古野なごや城を尾張国内の敵から守るため、道三に城の番兵を派遣してもらっている。

 信長が今川軍の侵攻を食い止めつつ尾張をほぼ統一したのは。永禄2年(1559年)。桶狭間の合戦のわずか1年前のこと。帰蝶を妻にしなければ信長は義元を迎撃する態勢を整えることができなかったのではないか。

信長の天下取りをプロデュース

 3年前に放送されたNHK大河ドラマ麒麟がくる』でも、川口春奈さんが演じた帰蝶が道三との会見に向かう信長のために鉄砲隊を雇い、信長の叔父に政敵を暗殺するようささやいて、SNSでは「帰蝶プロデュース」という言葉が生まれた。

 信長と帰蝶が相思相愛だったことを示す記録はなく、帰蝶との間に子どもはなかったとみられるから、相思相愛だったという推測は成り立たない。だが、道三は死の直前に「美濃を信長に任せる」と記した「 国譲状くにゆずりじょう」を残している。この文書については偽書という見方もあるが、本当に道三の遺言があったとすれば、信長は美濃支配の正当性を示すためにも、帰蝶正室とし続けなければならなかった。帰蝶は信長にとって、重要な戦略パートナーだった。

『レジェンド&バタフライ」ポスター

その名の通りの「バタフライエフェクト

 帰蝶は途中で歴史から消えたが、信長の尾張統一や美濃攻略を後押ししただけでなく、従兄妹いとことの説が有力な明智光秀(?~1582)と信長を結び付け、結果的に本能寺の変の舞台装置を整えた。そのことは信長、光秀はもちろん、木下藤吉郎豊臣秀吉、1537~98)や徳川家康(1542~1616)のその後の人生も大きく変えることになった。

 1羽の蝶のはばたきのような些細ささいなことが、その後の歴史を大きく変える現象を「バタフライエフェクト」という。人並み外れた知略による「帰蝶プロデュース」が映画やドラマの創作だったとしても、帰蝶はその名の通り、戦国の世に「帰蝶エフェクト」を起こしているのだ。

 信長と帰蝶との関係については、『麒麟がくる』の放送に合わせて以前もコラムで詳しく書いている。映画を見た方、見ようと思っている方は2本のコラムを読んでいただくと、映画を見る眼が少し深くなると思う。

 

 

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