2025年に放送されるNHK大河ドラマは、江戸時代の出版人、蔦屋重三郎(1750~97)の生涯を描く「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」に決まった。主人公の重三郎は横浜流星さんが演じる。
横浜さんは大河ドラマはもちろん、初めてNHKドラマに出演するという。脚本は大河ドラマ『おんな城主 直虎』やドラマ10『大奥』を手がけた森下佳子さん。原作のないオリジナルストーリーだ。
「蔦屋」といえば、レンタルビデオ・書店大手の「TSUTAYA」が思い浮かぶが、重三郎のことはよく知らない。どんな人なのか、取り急ぎ大まかな生涯を調べてみた。
蔦屋重三郎は喜多川歌麿(1753~1806)や葛飾北斎(1760~1849)といった浮世絵師や、朋誠堂喜三二(1735~1813)、山東京伝(1761~1816)などの大人向け小説(黄表紙・洒落本)を次々に世に送り出した版元で、「蔦重」と呼ばれた。狂歌名は「蔦唐丸」。「耕書堂」とも号した。
2025年はラジオの放送開始から100年の節目となることから、「江戸のメディア王」「浮世絵の敏腕プロデューサー」とも呼ばれる重三郎が主人公に選ばれたという。「メディア王」と言えば今ならアメリカのルパート・マードック氏だが、ちょっと違う。同じアメリカ人であえて例えれば、「江戸のウォルト・ディズニー」の方があっているかもしれない。
なお、TSUTAYAは、創業者の祖父が営んでいた屋号「蔦屋」に由来するが、蔦屋重三郎にもあやかって名付けられたそうだ。
花街ガイドブックから出版の道へ
活動の拠点はディズニーとはかなり異なり、江戸最大の花街だった吉原だ。重三郎の父は江戸・吉原の遊廓で働いており、重三郎は幼くして吉原の茶屋を経営していた喜多川氏の養子になる。「蔦屋」は喜多川氏の屋号で、歌麿とともに吉原の狂歌のグループ「吉原連」の中心的な人物になり、文芸の道に進んでいく。
安永2年(1773年)、23歳で店の遊女の名前などを記した吉原ガイドブック『吉原細見』の販売権を獲得し、吉原大門の前に軒先を借りて書店を開いて販売したのをきっかけに、出版業に関わっていく。翌年には平賀源内(1728~80)に『吉原細見』の序文を書かせ、中身も刷新して値段別、ランク別、場所別ガイドに改めた。
源内は「土用の丑の日にウナギを食べる」キャンペーンを発案して夏のウナギ消費の落ち込みを防いだと伝えられる当代一流のコピーライターで、重三郎は売れる本をプロデュースする才能をすでに発揮している。
洒落本を次々にプロデュース
安永9年(1780年)には売れっ子だった喜三二の黄表紙を出版し、おりからの狂歌ブームに乗って、かねてから付き合いのあった狂歌師や絵師たちを集めて斬新な企画の洒落本や狂歌本を次々にプロデュースした。武士、町人などの身分を超えて黄表紙や洒落本のファンが増えると、こうした人が集うサロンをつくり、さらにファンを増やし、その中から新たな作家も発掘した。
天明3年(1783年)には本問屋の丸屋小兵衛(生没年不詳)の株(出版権)を買い取って、江戸の一流出版社が軒を連ねる日本橋通油町に進出した。
浮世絵では歌麿の名作を世に送ったほか、栄松斎長喜(同)、東洲斎写楽(同)などを育てている。京伝の洒落本や黄表紙を独占的に出版したほか、吉原本や洒落本の流通網も一本化した。
田沼意次(1719~88)が失脚し、松平定信(1759~1829)が老中に就任して天明7年(1787年)に寛政の改革が始まると、風紀粛正のための出版規制が始まる。改革で江戸には倹約ムードが広がり、花街の吉原は不況にあえぐ。だが、重三郎が発売した田沼失脚などを題材にした政治風刺黄表紙が大ヒットする。
寛政3年(1791年)には京伝の洒落本・黄表紙が摘発され、重三郎も過料により財産の一部を没収されるが、知恵で苦難をはね返す。新たに役者絵に進出し、歌舞伎役者の上半身だけを描いた「大首絵」を出版するなどして、48歳で脚気で没するまで積極的に出版活動を続けた。
『南総里見八犬伝』の曲亭馬琴(1767~1848)や『東海道中膝栗毛』の十返舎一九(1765~1831)も重三郎の世話を受けたという。
文人オールスターの配役が楽しみ
歌麿、北斎から馬琴まで、ドラマは毎回のように江戸後期の作家や絵師のオールスターが登場することになりそうだ。順次発表される重三郎以外の配役も楽しみだ。主舞台が花街の吉原になりそうで、艶っぽい話も描かれるだろうが、NHKの大河ドラマにどう取り込んでいくかも興味深い。
books.rakuten.co.jp
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