今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

パーク開園を機に考える ジブリ作品と日本史の接点

 愛知県長久手市愛・地球博記念公園内にジブリパークが開園した。まず「ジブリの大倉庫」「どんどこ森」「青春の丘」の3エリアが先行し、『となりのトトロ』の遊具や『耳をすませば』に登場する店舗「地球屋」が再現され、『 せん千尋ちひろ神隠し』『紅の豚』などに登場するキャラクターと写真撮影できるコーナーなどがある。来年度には第2期として「もののけの里」「魔女の谷」の2エリアも開業予定だ。

 設計や現場での指揮を担当したのはスタジオジブリ常務の宮崎吾朗さん。吾朗さんの父で多くのジブリ作品の監督・脚本を務めた宮崎 駿はやお さんは、細部までこだわるため、制作にあたって時代背景を綿密に調べている。アニメが史実に沿っているかどうかを検証する意味はあまりないが、ジブリ作品は歴史を知るヒントが数多く盛り込まれている。その主なものをコラムで紹介した。

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異界に迷い込んだ千尋の成長の過程を描く『千と千尋の神隠し』(千尋の右はカオナシ)(C)2001 Studio Ghibli・NDDTM

千と千尋』の舞台は昭和初期の湯治場だが…

 平成13年(2001年)に公開された『千と千尋の神隠し』は、湯屋(湯治場)のある不思議な街に迷い込んだ10歳の少女、荻野千尋が自分の力で生きようとする冒険物語だ。おそらく平成の初めに森の中の不思議なトンネルをくぐって千尋が迷い込んだ街の景色は、それより60年以上前の昭和初期のものだ。

 湯屋油屋あぶらや」のモデルとされる湯治場はいくつかあるが、宮崎駿さんが参考にしたことを認めるのは東京都小金井市の「江戸東京たてもの園」にある「子宝湯」。昭和4年(1929年)に東京都足立区に建てられ、廃業後にたてもの園に移築された。油屋の名前は昭和初期に大分県別府温泉を有名にした実業家、油屋熊八あぶらやくまはち(1863~1935)からとったといわれている。

登場するのは記紀神話の神々

 だが、そこで展開する物語には、太古の記紀神話の要素が詰め込まれている。疲れをいやすため油屋にやってくるのは『古事記』にも登場する 八百万やおよろず の神々なのだ。

 その神々は体内に大量のごみを宿して悪臭を発していたり、顔や言葉がなかったりと、現代人がイメージする神様とはだいぶ異なる。もともと八百万の神々は万物の自然に宿るもので、その神々が疲れて次々と湯治にやってくるのは、自然が傷めつけられていることの比喩なのだろう。

油屋を団体で訪れる神「春日様」(C)2001 Studio Ghibli・NDDTM

森の神々と人間が戦う『もののけ姫

 平成9年(1997年)に公開された『もののけ姫』の舞台は室町時代だ。蝦夷えみし末裔まつえいである東の国のアシタカは、村を襲ったタタリ神との戦いで受けた呪いを解く方法を求めて西へ旅立つ。西で製鉄を営むタタラ場にたどり着き、女の統領、エボシ御前と出会ったアシタカは、タタリ神が生まれた原因を知る。

 それは鉄を作るために森を切り開くエボシ御前と、太古からの森を聖域として守ろうとする神々たちとの対立によるものだった。山犬に育てられたサン(もののけ姫)は山の神々と森を守ろうとするが、エボシ御前ら人間側は森の神々の頂点に立つシシ神の首を取ろうとして大きな戦いが起きる。

犬神にまたがるアシタカ(左)とサン(C)1997 Studio Ghibli・ND

 宮崎駿さんは歴史学者網野善彦(1928~2004)との対談のなかで、かつて本州の西半分を覆っていた照葉樹の森が消えたのはたぶん室町期だろうと考えて、舞台を室町期に据えたことを明かしている。網野は著書のなかで「自然は怖いもので、山や森は神様がすむ聖地なのだというとらえ方が崩れはじめたのが室町時代からで、これは歴史的な事実といってもよい」と、宮崎さんの眼力を評価している。

描き込まれた「自然VS人間」以外の複雑な対立軸

  エボシ御前は寡婦ハンセン病患者をタタラ場で製鉄や石火矢(鉄砲)の技術開発に従事させ、生活の糧を与えてタタラ場の人たちに慕われている。弱者を生み出し、差別する社会を変えるため、いずれは「国崩し」(革命)まで目指す。自然と人間の対立以外の複雑な対立軸を描き込むことで、単純な勧善懲悪ではない厚みがある話になっているのだが、網野によると、これも史実として室町時代にあり得たことだという。

 室町時代には流通や貨幣経済が今思われている以上に発達しており、西日本には規模の大きなタタラ場があった。備中(岡山県)新見荘では百姓が鉄で年貢を納めていたという記録もある。「百姓」も刀や鉄砲で武装していたし、女性は養蚕をやって絹布を市場に出すなどして、農作以外の仕事で金を稼いでいた。

アシタカは女たちに促されて製鉄作業を体験する(C)1997 Studio Ghibli・ND

 そもそも「百姓」はすべて貧しい農民で、武器や銭を持つことなどない、というのは江戸時代に生まれた誤解で、商工業者もむかしは「百姓」として、商品経済や流通に寄与していたというのが網野の説だ。その真偽については議論もあるが、『もののけ姫』は従来の時代劇の設定をあえてとらず、歴史を見る新たな視点を提供してくれている。

実在の航空設計技師と堀辰雄の半生を合わせた『風立ちぬ

  時代背景に戦争を描いた代表作は、平成25年(2013年)に宮崎駿さん最後の長編監督作品として公開された『風立ちぬ』だろう。実在した航空設計技師、堀越二郎(1903~82)を主人公にしているが、物語には小説家、堀辰雄(1904~53)の自伝小説の要素が盛り込まれている。堀越は映画で描かれた通り、のちに日本海軍の主力戦闘機となった「零戦零式艦上戦闘機)」を設計したが、結核を患った婚約者(映画での名前は里見菜穂子)を失ったのは堀の方だ。

堀越二郎(左)と堀辰雄国立国会図書館蔵)

 映画では昭和2年(1927年)に三菱(三菱内燃機)に入社した堀越が、会社に向かう車中で銀行の取り付け騒ぎを目撃したり、帰宅途中に貧しい身なりの子に「シベリア」を施そうとしたりするシーンもある。『風立ちぬ』は災害、不況、貧困、疫病という試練を克服しようとした日本が、豊かさを求めて逆に破滅的な戦争への歩みを早めていく過程を克明に描いている。

堀越は戦争の当事者なのか

 エリート技師の堀越は、貧困とは距離を置き、 病臥びょうが する婚約者に寄り添う時間も惜しんで戦闘機の設計に没頭し、世界一の戦闘機を作り上げる。1万機以上製造された零戦は海軍の主力機として戦い続けた。「堀越があれほど優秀な戦闘機を作らなければ、日本は無謀な戦争に突入することはなかった」という短絡的な見方にはくみしないが、堀越が戦争への足取りを進めてしまったのは確かだろう。

風立ちぬ』の主人公、堀越二郎零戦を開発した(C)2013 Stidio Ghiblii・NDHDMTK

 映画が最後に描いた場面が何を意味するのか、コラムで考察したのでお読みいただきたい。ちなみに宮崎駿さんは戦闘機が好きで、「ジブリ」の名前も第2次世界大戦で使われたイタリアの軍用偵察機の名前に由来している。

2023年に公開される新作にも期待

 宮崎駿さんは監督引退を撤回し、『君たちはどう生きるか』を制作中だ。新作は2023年7月14日に公開予定。タイトルは吉野源三郎(1899~1981)の同名小説に由来するが、中身は冒険活劇ファンタジーだという。温暖化、東日本大震災、新型コロナ、格差社会、そしてウクライナ……。宮崎駿さんは新作にどんな生きるための「歴史のヒント」を織り込むのだろうか。

 

 

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