日本に野球が伝来して150年となる2022年、節目の年を祝うかのように、野球界で大記録が次々に誕生した。

記録があるから偉業が分かる
プロ野球については昭和11年(1936年)以降のすべての試合、すべての打席、すべての投球や守備が完璧に記録されている。ここまで記録を整備したのは、元パ・リーグ記録部長で「記録の神様」の異名を持つ 山内以九士(幼名・育二、1902~72)の努力によるところが大きい。山内はセ・パが分裂する前の1リーグ時代を含め、2000試合以上で公式記録員を務めて正確な記録を残した。
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それだけではない。自分が見ていなかった戦前を含む5000試合を超えるスコアカードに目を通し、1球ごとに動きを確認し、誤りを正しつつ清書してデータベースをつくり上げた。学生野球でも裏方として活躍し、野球のルール整備やスコアブックの作成にも携わっている。
故郷や家業を捨てて「記録」に人生を捧げた山内は、その功績を認められ、野球殿堂入りしている。山内の孫で読売新聞編集局デジタル編集部に所属する室靖治記者の著書『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』をもとに、山内ら先覚者たちの功績を振り返った。
- 記録があるから偉業が分かる
- 日本に野球を伝えたのは「お雇い外国人」
- 「野球」名付け親は正岡子規ではない
- 最初からルールや記録を好んだ山内
- 父の葬式にも出ず野球のことばかり
- 本当は人好きだった?山内
日本に野球を伝えたのは「お雇い外国人」
日本に最初に野球を伝えたのは、お雇い外国人として来日した米国人教師のホーレス・ウィルソン(1843~1927)とされる。ウィルソンは明治5年(1872年)、第一番中学(開成学校、後の東京大学)の生徒に野球を教えた。野球は開成学校の予科から分かれた第一高等中学(後の一高)で続けられ、ここで野球を知った学生たちが日本全国に広げていく。ルールは野球指導者ではないウィルソンが語った内容の口伝えだったという。
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