今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

なぜ今、世界で『五輪書』が読まれているのか

 日本最強の剣豪といえば、多くの人が宮本武蔵(1584?~1645)の名前を挙げるのではないか。江戸時代初期、60戦無敗の戦績を誇った武蔵は、世界で最も知られた日本人のひとりで、晩年に剣術の奥義をまとめた『五輪書ごりんのしょ』は海外のビジネスマンの愛読書になっている。

 海外のビジネスマンは武蔵の剣術から何を学び、なぜ武蔵を師とするのか。野田派二天一流師範だった父の遺志を継いで『五輪書』の解説書を出版した女性実業家の大浦敬子さんに、『五輪書』から知るビジネスの極意について語ってもらった。

大浦さんと近著『超訳 五輪書 強運に選ばれる人になる』

読売新聞オンラインのコラム本文

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巌流島の武蔵像(左)

5巻で構成された武蔵の剣術の奥義

 インタビューは全文公開されているので、コラム本文をお読みいただきたい。『五輪書』は地、水、火、風、空の5巻で構成されているが、この意味も大浦さんがコラム本文で語っている。

 大浦さんの「超訳」によるいそれぞれの巻のポイントもまとめてある。地と水の巻のポイントを再録しておく。残りの巻のポイントはコラム本文に記載している。

いずれも大浦さんの著書から作成

なぜオリンピックが「五輪」なのか

 「オリンピック」をなぜ「五輪」と言い換えるようになったのか。最初にこの和訳を思いついたのは元読売新聞運動部記者の川本信正(1907~96)といわれている。『昭和史探訪3』によると、ベルリン大会の開会日前日の昭和11年(1936年)7月31日に開かれたIOC総会で、昭和15年(1940年)の開催地が東京に決まった。これから「オリンピック」報道は増えることが予想されたが、表記に6字を費やしてしまう。なんとか略せないか。

考案者がたまたま読んだ菊池寛の随筆に…

 川本は「国際運動」と書いてオリンピックとルビを振ったり、「国際運競」という言葉をひねり出すなど試行錯誤の末に、五つの輪がオリンピックのシンボルマークであること、たまたま当時読んでいた菊池寛(1888~1948)の随筆に武蔵の『五輪書』があったことから「五輪大会」はどうかと思いついた。

 五輪と「オリン」の語呂の類似性も定着した一因といわれている。オリンピックの意味で「五輪」の見出しが初めて使われたのは同年8月6日付社会面の「五輪の聖火」だという。

 武蔵とオリンピックのつながりについては、嘉納治五郎(1860~1938)の功績も交えて以前に紹介している。こちらもお読みいただきたい。

 日本最強の剣豪の教えはさまざまに解釈されているが、今の日本では熱心に読まれているとは言えない。とっつきにくいという人は、まずは大浦さんの「超訳」から読んでみてはどうだろう。

 

 

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