今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

紫式部が「源氏物語」に記した平安の異常気象

 温暖化の影響で異常気象が「異常」ではなくなってきたように思えてならない。名古屋大学の坪木和久教授の推定では、温暖化が進めば今後、中心の気圧が850〜860ヘクトパスカル、最大風速80〜90mに達するスーパー台風が発生する可能性もあるという。

 過去にはいくつもの台風が日本で猛威をふるったが、インフラの整備や防災対 策が進んで人的被害は減ってきている。だが、スーパー台風が増えれば、再び被害が拡大に向かう恐れもある。
 だが、こんな異常なことは有史以来初めてなのか、というと、そうでもないらしい。

読売新聞オンラインのコラム本文

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 二酸化炭素などの温室効果ガス が急増するのは産業革命以降だが、太陽の活動が活発で、地球規模で温暖化していた時代は過去にもあったとみられている。

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古気候学の進歩が歴史を変える?

 南極の厚い氷を切り出し、時代ごとに含まれる放射性炭素の量 などを測定するなどの手法で、過去の太陽活動の推移もある程度わかってきた。「古気候学」の進歩によって、今は具体的な気象観測データがなくても、気候の歴史をある程度類推できるようになってきている。

 地球規模の気候変動は、当然、日本にも影響したはずだ。古文書や日記には氷の張り具合、 花の開花時期や農作物の作柄などの記述がある。宮中行事の観桜会は満開にあわせて行われ、 開催日を追えば春の訪れがわかる。伐採された樹齢1000年を超える屋久杉の年輪や、8000年にわ たって堆積してきた尾瀬ヶ原の泥に含まれる花粉の量などを分析し、記録と照らしあわせれば、 日本が温暖化していた時期もおおまかに推定できるという。
 気候は誰もがふだん肌で感じているだけに、実感がないと信じられない面がある。本文のコラムも「ホントか?」
と思う方がいると思うが、こういう学問が歴史のアプローチに新たな視点を加えつつあるということは知っておいて損はないはずだ。

なぜ猛暑の平安に「十二単」?

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お伽草子に描かれた平安貴族(『たま藻のまへ』京都大学附属図書館蔵)

 平安が猛暑の気候だったとすれば、十二単など着ていられたはずがない。その通りで、女性貴族がいつでも十二単を着ているという固定観念は誤りだ。十二単は女性の正装の総称で、いつも十二枚の重ね着をしたわけではない。

 平安時代の絵画などに登場するのはむしろ薄着が多く、『源氏物語』にも、 シースルーのような薄着をした娘が「はしたない」と怒られるくだりがある。

 『枕草子』には猛暑の中、宮中でかき氷を食べた記述がある。そういえば、貴族の住まいだった「寝殿造」は風通しがいい造りだ。平安貴族の猛暑対策は思っている以上に進んでいたのかもしれない。

気になる式部と道長の関係

 余談になるが、紫式部摂関政治の絶頂期に位人臣を極め「この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることも なしと思へば」の和歌を残した左大臣藤原道長(966〜1028)との関係がずっと詮索されてきた。

 貴族の来歴を記した『尊卑分脈』の式部の項には「御堂関白道長妾」という注記があり、二人は愛人関係にあったという説すらある。確かに式部は道長の依頼で道長の長女・彰子(988〜1074)に仕えている。道長は式部に紙や硯を贈って執筆活動を支援し、物語の続きを書くよう促す手紙も出していたというから「パトロン」に見える。
 ただ、こうした支援には彰子を一条天皇(980〜1011)の中宮(皇后)にするという別の狙いがあったようだ。彰子に中宮にふさわしい教養を身につけさせるため、道長は優秀な〝家庭教師〟を探していた。源氏物語の執筆を支援したのも、源氏物語を愛読していた天皇が式部のもとを訪れ、彰子と接する機会が増えると考えたからとされる。 

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これも本当かな、と思いたくなるが...『源氏物語』を読みなおしてみたくなった。とても長くて大変だけれど。maruyomi.hatenablog.com

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