シベリア抑留からの最後の引き揚げ港となった京都府舞鶴市の舞鶴引揚記念館と、シベリア抑留の資料を展示・所蔵する東京都新宿区の平和祈念展示資料館の初の合同展示が、2月22日から東京・丸の内で始まった。
過酷な日々を送りながら、日本に帰れることを信じてラーゲリ(収容所)に希望の灯をともし続けた主人公を二宮和也さんが演じた映画『ラーゲリより愛を込めて』は、ロングラン上映を続けている。
読売新聞オンラインのコラム本文
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終戦後に日本兵ら約60万人がシベリアなどに抑留され、乏しい食糧の厳冬下、強制労働によって約1割が命を落とした悲劇については、映画公開時に書いたコラムで詳しく記している。
映画が合同展示を後押し
両館で行う初の合同展示「ラーゲリからのメッセージ ~シベリア抑留の記憶をつなぐ~」は、映画の公開が後押しした形で実現した。東京駅丸の内南口の「KITTE」地下1階に、資料約90点が所狭しと並ぶ。
平和祈念展示資料館の出展は、抑留者が抑留中に作ったり、使ったりした道具などが中心だ。
舞鶴引揚記念館からの出展は、2015年にユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)に国際登録された「舞鶴への生還 1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」が注目だ。抑留者が白樺の皮を使って日本への想いを和歌に記した「白樺日誌」や抑留者の手製の手帳などが出展されている。
文化財保護の観点から実物資料はレプリカ(複製)展示だが、大変精巧な造りでレプリカといわれないとわからない。
抑留者ではない2人の記憶遺産
会場は7つのテーマに分かれているが、筆者が興味深かったのは、舞鶴から出品された「世界の記憶」登録資料で構成された抑留者ではない2人のコーナーだ。
一人目は「岸壁の母」のモデルとなった端野いせ(1899~1981)に関する資料だ。端野は満州に出征したひとり息子の帰国を信じ、シベリアからの引揚船の入港にあわせて、住まいの東京都大田区大森から何度も舞鶴に足を運んだ。「息子が帰還したら渡してほしい」と、舞鶴の引揚援護局に託した葉書は「ユネスコ世界記憶遺産」登録資料となっており、「帰還を待つ人々」のコーナーで展示されている。その逸話をもとに生まれた歌謡曲「岸壁の母」(作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜)は、まず菊池章子(1924~2002)が歌い、後に二葉百合子さんが台詞入りでカバーして大ヒットした。
偶然聞いた短波放送「聞き捨てならじ」
もうひとりは、坂井仁一郎(1923~2002)の資料だ。松下電器産業の社員だった坂井は、昭和23年(1948年)に大阪府門真市の自宅でラジオを聞いていて、抑留者の氏名、住所を読み上げていた短波放送(モスクワ放送)を偶然耳にする。「これは聞き捨てならじ」と感じた坂井は必死にメモを取り、留守宅にはがきでその内容を伝えた。
合同展示では「世界の記憶」に登録されたそのはがき(上写真右)も展示されている。興味深いのは付箋がびっしりついた坂井のはがき。戦後の混乱期に住まいを変えた家族も多かったのだが、はがきを読んだ郵便局員が、何とか届けようと転居先を探し、郵便局から郵便局へと転送していたことがわかる。
坂井が出したはがきは700通にのぼり、はがきをもらって夫や息子の安否が分かった人も多かった。坂井の活動は完全なボランティアで、郵便局の局員たちも誰かに命じられて転送先を探したわけではない。まだ暮らしに余裕がなかった時代に、他人のことを思って苦労を買って出る人々が大勢いたこと、それで救われた人生がいくつもあったことは、無関心がはびこる今の時代への教訓にもなる。
消えつつある貴重な資料
抑留者は高齢となり、年々亡くなっている。家族や関係者が所持・保管する資料を散逸させてはならない。シベリア抑留の資料を収集する両館が、誰でも訪れやすい東京駅にほど近い場所で初の合同展示を行うことは、未知の貴重な資料の発掘にも役立つだろう。
合同展示には中学生・高校生などの「若い世代」にシベリア抑留の記憶をつなぐという重要な意味もある。映画『ラーゲリより愛を込めて』が、新たな歴史を掘り起こすきっかけになればと思う。
books.rakuten.co.jp
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