『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ池波正太郎(1923~90)の代表作『仕掛人・藤枝梅安』が、池波生誕100年にあわせて2部作の映画になった。2月3日から第1作が全国公開中で、4月7日には第2作も公開される。
鍼医者という表の顔と、悪を葬る「仕掛人」という裏の顔を持つ主人公の梅安を演じるのは豊川悦司さん。梅安の出生地とされる静岡県藤枝市で開かれた映画の試写会で豊川さんは「江戸の世界にみなさんをお連れする自信がある。非日常を楽しんでほしい」とあいさつしている。
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仕掛人はむろん架空の職業だが…
2作の映画は梅安シリーズ初期の『殺しの四人』に収録された「おんなごろし」など短編作品を原作にしており、池波は江戸時代中期の寛政11年(1799年)を物語の起点にしている。もちろん梅安は池波の創作で、描かれる物語はすべて虚構なのだが、映画を見ていると、江戸時代の非日常の世界がリアルな空気感まで伴って迫ってくる。
江戸の空気感を感じるのは、豊川さんら豪華俳優陣の演技力や、時代劇をよく知るスタッフによる映像美だけが理由ではないだろう。池波は小説を書くにあたって史料を読み込み、時には現地に出向いて江戸時代の街並みや習俗、文化を綿密に調べあげている。
池波の原作が歴史に基づいて舞台を設定し、映画はそれを忠実に再現しているから、見る人は抵抗なく非日常の世界に入っていけるのだろう。
愛読書『江戸名所図会』からのリアルな描写
池波の歴史へのこだわりは、さまざまな場面に垣間見える。池波は梅安の家を、江戸・品川台町の通りを南に下った「 雉子の宮」付近に設定し、「ものの本」から引用する形で地名の由来などを紹介している。その記述から「ものの本」は『江戸名所図会』であることがわかる。
「おんなごろし」には、梅安の家は「雉子の宮の鳥居前の小川をへだてた南側」の「 わら屋根の、ちょっと風雅な構えの小さな家」で、「こんもりとした木立にかこまれていた」とあり、『江戸名所図会』の「雉の宮」の風景画には、これにほぼ符合する家が描かれている。池波は『江戸名所図会』を毎日のように見ていたというから、絵の中から梅安の家を定め、小説でそれを文章でリアルに描写したのだろう。
藤枝市にも古地図と合う足跡
池波は『仕掛人・藤枝梅安』シリーズの連載開始にあたってカメラマンを伴って藤枝市を取材している。市民有志でその足跡をたどる「藤枝の梅安研究会」の小嶋良之さんによると、池波は江戸時代の古地図を手に、裏通りまで足を運んだという。
梅安の生家は「神明宮の参道を入った(ところの)小さな家」で「銀杏の木が目印」と記す(『梅安蟻地獄』収録の「梅安初時雨」)。むろん架空の人物に生家などないが、神明宮の境内には銀杏の木が残っている。親に捨てられた梅安を引き取ってこき使った旅館「万年屋」や、成人になった梅安が宿泊した「越前屋」、ひとりで酒を飲んだそば屋「三州屋」も、小説が描く通り、神明宮の向かいや小川のほとりにあったことが古地図で確認できるという。
映画でも池波の「江戸らしさ」を大切にしている。映画『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』で准監督を務めた尾上克郎さんがVFX(視覚効果)シニアスーパーバイザーとしてロケハンから企画に参加し、江戸の街並みも歌川広重(1797~1858)の浮世絵「両ごく回向院元柳橋」などを参考にCGで再現している。
料理に池波らしいこだわり
CGで描かれる隅田川の対岸は 薬研堀周辺とみられ、映画第1作の主要な舞台となる料理屋「万七」がある。4代続いた料理屋で、田山涼成さんが演じる当主の名は善四郎。江戸一番の割烹といわれた「 八百善」の当主の名前と同じ。名店だった頃の万七のモデルは江戸時代に浅草に実在した八百善ではないか。
八百善の4代目当主、栗山善四郎(1768~1839)は食材や料理法を究めるために東海道をはじめ全国の宿場を歩いた。当時一流の文人と交流し、『江戸流行料理通』という料理本も出版している。食通として知られ、東海道を旅して食に関するエッセーも多い池波と共通点が多い。万七は味が落ち、梅安の「仕掛け」の対象になるが、八百善は江戸料理の名店であり続けた。
映画には梅安や彦次郎が「鯨骨の吸い物」「湯豆腐」「ハゼの煮つけ」といった素朴な料理を食べるシーンがたくさん登場する。池波の料理についての著書(共著)もある日本料理店「分とく山」総料理長の野﨑洋光さんが、料理監修として自ら撮影現場で腕を振るい、これらの料理を再現している。野﨑さんは江戸時代になかった食材は使わず、当時のレシピを想像して、撮影で蓋を開けない鍋料理まで中身を作っている。
梅安は表の世界では鍼医者として人の命を救っているが、裏稼業では冷徹な殺人者で、いつか仕掛けに失敗し、命を落とすことを覚悟している。日々の食事は梅安にとって、生きる喜びを実感できる大切な時間なのだ。池波が「食」にこだわったのは、死と隣り合わせの恐怖や不安を抱きながら、生きるための日常の行為を大切にする姿を通じて、仕掛人の人間らしさを描くためではないか。だからこそ料理はうまそうに見えなければならず、梅安はそれを実にうまそうに食べなければならないのだろう。
池波は梅安の裏の顔を消さず、ただのヒーローにもしなかった。池波と二人三脚で梅安シリーズを世に出した編集者の大村彦次郎(1933~2019)は文庫本の解説の中で、その理由は池波の人間観は善悪二元論だったからだと記している。
「〈人間はよいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことしている〉。世情にたけたリアリズムの認識が一本通っている。これが勧善懲悪だけではおさまらない、いまの時代の読者に受けた」
ちなみに梅安の相棒、彦次郎の名は池波が大村の名前からつけた。
閉塞した時代に受けるダークヒーロー
梅安が活躍した江戸中期には、田沼意次(1719~88)の重商主義政策が行き詰まり、松平定信(1759~1829)が断行した寛政の改革が経済の停滞を招いている。池波が『仕掛人・藤枝梅安』シリーズを発表した昭和47年(1972年)も高度経済成長は終わりを迎え、農村の過疎化や公害問題などの課題が顕在化していた。
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池波は閉塞状況にあった寛政期を舞台に、勧善懲悪だけではおさまらないダークヒーローの活躍を描くことで、同じく閉塞状況にある「いまの時代」の読者の不満や不安に応えた、というのが大村の分析だ。善悪二元論と今の時代についてはコラム本文で分析しているのでお読みいただきたい。
『仕掛人・藤枝梅安』が、原作に忠実に映画になった今は、高度成長末期よりも、さらに閉塞した時代なのかもしれない。
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