今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

「今につながる日本史」反響まとめ

  

 読売新聞オンラインで連載したコラムに、このブログの書き下ろしも加えた『今につながる日本史』。ほぼ完売しましたが、Amazonなどのネット通販でもお買い求めいただけます。全国の図書館にも入っています。

 本は多くの方に読んでいただき、これまでに多くの反響をお寄せいただきました。本当にありがとうございます。これまでに登場した書評などをご紹介します。私が知らないところに登場しているものがあれば、お知らせ頂けるとありがたいです。

  • 「日本記者クラブ会報」7月号で自己PR
  • 高橋英樹さんにもお読みいただきました
  • FACTA8月号書評 明治学院大名誉教授/樋口隆一さん
  • 財務省広報誌「ファイナンス」8月号書評/渡部晶さん
  •  近現代史研究者/辻田真佐憲さん
  • ノンフィクションライター/早坂隆さん
  • ノマド アンド プランディング書評/大杉潤さん
  • エネルギーレビュー9月号書評/斉藤隆さん
  • フランク・ミシュラン帝京大教授
  • 雑誌『歴史群像』10月号
  • 書評サイト「本が好き!」/信ちゃんさん
  •  読書メーター 双子座の双子ちゃんのパパ/Syoさんほか
  • あるケミストの研究室
  • ツイッター
  • 同級生の大学教授(友人公開のSNSなので匿名・抜粋)
  • 「深層NEWS」のテレビマン(友人公開のSNSなので匿名・抜粋)

「日本記者クラブ会報」7月号で自己PR

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高橋英樹さんにもお読みいただきました

 憧れの俳優、高橋英樹さんも本をお読みくださったそうで、感激です!織田信長 の魅力をたっぷり語っていただいたロングインタビューは読売新聞オンラインで公開中です。

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平家の落人集落発見?100年前の国勢調査

  

 国勢調査が大正9年(1920年)の第1回調査以来、100 年の節目を迎えた。10月7日に回答期限を迎えた今回の調査は新型コロナの影響でインターネットによる回答が推奨されたが、回答率が低く、回答期限が20日まで延期された。

 回答しない世帯には調査員が訪れ、虚偽の回答をすると罰金が科せられることもある。インターネットによる回答は思ったより簡単なので、早く済ませることをお勧めしたい。

  •  遅れに遅れた第1回調査
  •  調査の重要性を知っていた原敬
  • 「一人も漏れなく、ありのまま」
  • 平家の落人集落、埼玉の山中に
  • 統計の重要性は浸透したか

 遅れに遅れた第1回調査

 国勢調査は“Population Census”の訳で、「国の勢い」ではなく、「国の情勢」を調べて知るという意味だ。「国勢」という言葉を用いて統計の重要性を最初に訴えたのは、早稲田大学創設者の大隈重信(1838〜1922)だった。

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大隈重信(左)と寺内正毅(国立国会図書館蔵)

 日本は明治35年(1902年)に「国勢調査ニ関スル法律」を定め、明治38年(1905年)に第1回調査を行い、世界人口センサスに参加する予定だった。しかし、その前年に日露戦争が始まり、莫大な予算が必要な国勢調査は実施が棚上げされた。

 10年後の大正4年(1915年)の調査も、第一次世界大戦の影響で流れてしまう。のちに岩手県知事や東京市長を務める内閣統計局長の牛塚虎太郎(1879〜1966) が、当時の首相、寺内正毅(1852〜1919)に「国勢調査実施ニ関スル件」という意見書を提出し、実施の必要性を説く。

 「欧米諸国は前世紀のはじめから国勢調査を行っている。欧米諸国に伍していくには国勢調査の実施は必須だ。明治35年国勢調査の実施を法律で定め公言しているのに、10年以上も実施しないとは、いかなることか」

 牛塚らの尽力によって大正6年(1917年)「国勢調査施行ニ関スル建議案」が衆議院で可決され、ついに大正9年の調査実施が本決まりになった。

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国勢調査を推進した牛塚(左)と原(国立国会図書館蔵)
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「半沢直樹」と白洲次郎に共通する「プリンシプル」

  

 堺雅人さん主演のTBS系日曜劇場「半沢直樹」が終了した。最終回の世帯平均視聴率は32.7%と、令和になって最高を記録したという。「半沢ロス」に陥りながら書いたコラム本文は、ちょっと独りよがりかも知れない。SNS上には結構同じ意見があって、ちょっとほっとしたが...。

読売新聞オンラインのコラム本文

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 ドラマ後半で描かれた「帝国航空」の再建計画をめぐる話は、2009年に民主党前原誠司国土交通相が「JAL再生タスクフォース」を設置した話がモデルになっている。

  •  日航外資との日本の空争奪戦
  • 「もく星号事故」後に仕掛けた「倍返し」 
  • 特殊会社が「親方日の丸」体質を醸成
  • 戦後の産業復興、いたるところに登場
  • 日本一ダンディな男が土下座 
  • 「プリンシプル」が求められる時代

  債権放棄などをめぐる銀行団の反発などで再生計画づくりは難航したあげく企業再生支援機構に引き継がれ、日航は10年1月に会社更生法の適用を申請して経営破綻した。事実はドラマの経過とは異なる。

 むしろ熱い闘いがあったのは、約70年前の日航創設時ではないか。この時は吉田茂(1878~1967)首相の側近だった白洲次郎(1902~85)が半沢のような役回りを演じている

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「今につながる日本史」が本になりました!

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 読売新聞オンラインで連載したコラムに、このブログの書き下ろしも加えた『今につながる日本史』が本になり、5月20日中央公論新社から発売されました。

 2018年から2020年までに読売新聞オンラインに掲載した「今につながる話」のほか、歴史のこぼれ話〈余話〉、書き下ろしコラムや元号一覧表、作家の堂場瞬一さん、「歴史の達人」出口治明さんのインタビューも収録しました。全国の書店でお求めください。

  

 お読みになった方、本の通販サイトなどにレビューをお寄せいただけると励みになります。もちろん厳しい評価でもかまいません。

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新首相の地元 秋田藩が失敗した経済政策とは

  

 安倍首相が持病の悪化で退任し、菅内閣が発足した。秋田県出身者では初の首相で、地元(菅氏の選挙区ではないが)は盛り上がっている。

 菅氏は農家に生まれ、地方議員からたたき上げで首相に上り詰めた苦労人だ。親の選挙地盤を引き継ぐ世襲議員が目立つ昨今だが、菅氏には地方の振興に力を入れ、庶民に向き合う政治を期待したい。

 

読売新聞オンラインのコラム本文

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 だが、生まれながらに選挙地盤を持つ“地方の殿様”では庶民の気持ちは分からない、などというつもりはない。領民の暮らしに寄り添おうとした“地方の殿様”もいる。菅氏の地元、秋田藩久保田藩)の第7代藩主、佐竹義明よしはる(1723~58)もそのひとり。今回のコラムはその斬新な経済対策を紹介した。

  • 着眼点はよかった「銀札」発行計画
  •  領内を襲った猛烈なインフレ
  • 「銀遣いの国」で普及しなかった銀札は
  • お家騒動ばかりが有名に

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佐竹義明(天徳寺蔵)

着眼点はよかった「銀札」発行計画

 江戸時代中期に商品経済が発達して経済規模が拡大すると、幕府が供給する貨幣(正貨)だけでは足りず、多くの藩が独自の紙幣「藩札」を出していた。宝暦4年(1754年)、秋田藩も幕府に「今後25年の間、銀札ぎんさつを発行させてほしい」と願い出た。

 領内では当時、大雨、洪水、大火などの災害が相次ぎ、冷害による凶作が続いた。流通している銀貨や銭貨(正銀、正銭)に交換できる紙幣を発行して、財政難を乗り切り、経済活性化を図る政策自体は、目新しい政策ではない。

 だが、秋田藩にはもうひとつ目的があった。銀札を使って領内の正銀を藩に集め、困窮する領民に米や生活必需品を給付するというのだ。銀札を普及させれば、交換された正銀が回り回って藩に入ってくる。

 言い換えれば、領民に銀札を渡し、蔵やかめの中で“タンス預金(預銀?)”になっている正銀を藩に吸い上げる。吸い上げた正貨を藩外への支払いにあて、藩外から米や日用品を買い入れて領民に安く売れば、財政再建と領民救済の一挙両得が図れる――と考えた。

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秋田藩が発行した銀札
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過去の失敗作「アマビエ」が今、脚光を浴びる理由とは

  

 新型コロナの感染拡大が長期化する中、予言する妖怪「アマビエ」が大人気だ。人魚のようなウロコと長い髪、鳥のようなくちばしを持つ3本足の妖怪で、江戸時代に肥後(熊本県)の海に現れて疫病の流行を予言したという。

 アマビエはむろん想像の産物だが、この得体のしれない妖怪が登場した時代背景を知りたくなった。ブームが起きる前から、地道にアマビエを調べていた研究者にも取材した。

読売新聞オンラインのコラム本文

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  •  予言獣の“先輩”の元ネタとは
  • 創作者は江戸の瓦版職人か
  •  深海魚か、中国の猿の妖怪か
  • アマビエは何を予言したのか
  • 失敗作だったアマビコ
  • 成功していれば今の流行はなかった?

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           肥後国海中の怪(アマビエの図)』(京都大学附属図書館所蔵) 

 肥後の海中が毎夜光るため役人が見に行くと、図のような者が現れ、「私は海中に住むアマビヱという者だ。今後6年の間、諸国は豊作だが、あわせて病が流行する。早く私の写し絵を人々に見せなさい」と告げて海中に戻った。これが役人から江戸に送られてきた写しだ 弘化3年4月中旬

 アマビエの絵の説明文は上記にように書いてある。だが、役人が検分したという大騒ぎの伝承が、肥後には一切残っていない。弘化3年(1846)に疫病が流行した形跡もない。奇談の発信源は、どうやら熊本ではない。

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スターリンの犯罪 シベリア抑留と終戦工作の接点

 全国戦没者追悼式がコロナ禍の中で開かれた。節目の「終戦の日」だからこそ、8月15日の恒例行事の意義を再認識することが大事だと思う。

 「終戦の日」は第2次世界大戦の戦闘がんだ日ではない。昭和20年(1945年)8月9日に旧満州中国東北部)に攻め込み対日参戦したソ連は15日以降も軍事行動を止めず、18日未明には千島列島の北端、占守しゅむしゅ島でソ連軍と日本軍守備隊が「開戦」している。

読売新聞オンラインのコラム本文

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  • 「日本人将兵50万人を捕虜に」…スターリンの極秘指令 
  •  国際法に明確に違反
  • 勝算ないまま登場したソ連仲介案
  • 近衛の交渉方針に「労務賠償やむなし」
  • 和平斡旋の答えは宣戦布告
  • 北海道占領断念翌日 スターリンの豹変

「日本人将兵50万人を捕虜に」…スターリンの極秘指令 

 ソ連の最高指導者ヨシフ・スターリン(1878~1953)は占守島から南下し、北海道の北半分を占領する野望を抱いていた。陸軍中将・樋口季一郎(1888~1970)は独断で「断乎反撃せよ」と命じた。

 守備隊の奮戦で出端ではなくじかれたスターリンが、北海道占領を断念せざるを得なくなった経緯は別のコラムで紹介している。

 占守島では8月21日に停戦協定が成立し、日本兵は23日に武装解除する。だが、スターリンはこの日に、「日本人将兵50万人を捕虜とせよ」という極秘命令を出した。

 千島だけでなく、旧満州や朝鮮、樺太などにいた日本人57万5000人がシベリアの収容所に強制連行された。その1割にあたる約5万4000人が極寒の中、過酷な労働や食糧不足で死亡したとされる。

   

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