今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

『アルキメデスの大戦』に盛り込まれた史実が示す教訓とは

f:id:maru4049:20201005230432j:plain

 *「今につながる日本史」の出版にあわせて、本の中身を確認できるように、このコラムは本に収録した加筆修正後の内容に改めました。

f:id:maru4049:20200613100520j:plain

護衛艦「いずも」(海上自衛隊ホームページより)

 政府は2018年12月に閣議決定した新たな防衛大綱と中期防衛力整備計画(2019〜23年度)で、海上自衛隊が2隻保有するいずも型護衛艦の「空母化」を打ち出した。「いずも」は2020年度、「かが」は22年度から改修工事が始まり、最新型ステルス戦闘機「F35B」が発着できるようになる。

f:id:maru4049:20200613100620j:plain

海兵隊のF35B戦闘機

 自衛隊が空母機能を持つ艦艇を持つのは、昭和29年(1954)の創設以降初めて。政府は戦闘機の常時搭載を見送るなど運用に制限を設け、専守防衛に徹すると説明しているが、南シナ海で海洋進出を進める中国を刺激しないか、懸念する声もある。

 改修される「いずも」の全長は248mあるが、それでも巨大不沈戦艦「大和」より15m短いという。大和も当時の仮想敵国、米国から日本のシーレーンを守るための防衛抑止力として建造されたとされる。その背景には、ワシントン海軍軍縮条約からの脱退を見据えた艦艇計画の変更と、昭和9年(1934)に起きた水雷艇友鶴ともづる))」の転覆事故の影響があった。

 くしくもこの時代の海軍を舞台に、大和建造計画を描いた三田紀房さんの人気コミック『アルキメデスの大戦』が実写映画化され、2019年夏に公開された。フィクション部分を取り除いていくと、海軍の艦艇建造計画の変遷がみえてくる。

読売新聞オンラインのコラム本文

↑読売新聞オンラインに登録しなくてもワンクリックで御読みになれます。

  • 海軍を震撼させた水雷艇転覆
  • 事故の背景に軍縮条約の制約
  • 過大装備で「トップヘビー」に
  • 海軍の路線対立は実話だった

 『アルキメデスの大戦』は、戦前の帝国海軍司令部が進めていた「大和」の建造計画に反対する若き天才数学者が、米国との戦争を避けるために軍部の陰謀を暴くストーリーだ。   

<i

 原作には実在した人物が多数登場するが、映画で菅田将暉さんが演じた主人公、櫂直かいただしは架空のキャラクターで、特定のモデルもいないようだ。ただ、原作には史実もところどころに挿入され、ストーリー展開のカギとなっている。 

 comic-days.com

【続きを読む前に...「今につながる日本史+α」ではほかにも太平洋戦争に関する記事を無料でお読みになれます】


続きを読む

大発見!秀吉最後の城で関ヶ原の勝敗が決まった?

 豊臣秀吉1537~98)が最晩年に築いた「京都新城」の石垣や金箔きんぱく瓦が、京都仙洞せんとう御所(京都市)内で見つかった。築城から30年ほどで解体され、どこにあったかすらはっきりしていなかった秀吉最後の城の遺構が、初めて京都御所内で確認されたのだから、「近年の城郭研究における『高松塚古墳級』の大発見」というのは大げさではない。

 京都新城は公家などの日記に「太閤たいこう御所」「京ノ城」などと記され、秀吉が関白の政務を執るため建設した豪華絢爛けんらんな城だった。それがなぜ「幻の城」になってしまったのか。 

読売新聞オンラインwebコラム本文

↑クリックして読売新聞オンラインの読者会員登録をするとお読みになれます 

 秀頼のための城、使ったのは北政所

 京都新城は慶長2年(1597)、秀吉が嫡子・秀頼(1593~1615)のために京都御所内に築いた。今回の調査で確認された石垣は高さ1~1.6m、長さは南北に約8mで、安土桃山時代の石垣構築「野面積のづらづみ」で積まれた本格的なものだ。さらに調査をすれば、聚楽第じゅらくだいに匹敵するかなり大きな規模の遺構が確認できるのではないか。

 だが、秀吉が新城完成からわずか11か月で死去すると、秀頼は大坂城に入り、京都新城は秀頼の居城にも、豊臣家の繁栄の拠点にもならなかった。京都新城は大阪城西の丸から移り住んだ秀吉の正室北政所きたのまんどころ高台院、?〜1624)の屋敷として使われた。

f:id:maru4049:20200613011350j:plain

聚楽第の遺構とされる西本願寺飛雲閣は、京都新城の遺構という説もある
続きを読む

外出自粛でも楽しめる?安土城 3つの謎

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて全国に緊急事態宣言が出され、今年のゴールデンウイークはどこにも行かずにSTAY HOMEという人が多かっただろう。

 外出を自粛してみると、自由に外出できるというのはいいことだったのだなあと思う。外出して見ることができる景色を見ていると行きたくなってしまうから、外出できたとしても見ることができない素晴らしい景色を紹介する。織田信長(1534〜82)が築いた安土城だ。

    youtu.be

*音量にご注意ください。

  • 安土城の3つの謎①〜消えた蛇石
  • 安土城の3つの謎②〜天主閣は一度倒壊した?
  • 安土城の3つの謎③〜天主に火をつけたのは誰か
  • 復元には資金と記録がない難題

 安土城の天主閣は天正7年(1579年)5月11日、今の暦に直すと6月7日に完成したとされる。今は天主閣はないが、天主台跡まで登ると、1時間近くかかる。山ひとつが石垣という壮大な規模には驚いた。完成後まもなく焼失し、設計図が残っていないこともあって、安土城には謎が多い。

f:id:maru4049:20200501132529j:plain

安土城の3つの謎①〜消えた蛇石

 最も有名なのは「蛇石」(あわび石)の謎だろう。

 宣教師ルイス・フロイス(1532〜97)の『日本史』によると、この巨石は約10メートル、112トンもあり、巨石の引き上げ作業中、けん引する綱が切れて150人以上が石の下敷きになって死亡する事故も起きている。

 膨大な安土城の石垣の材料は近くの観音寺山や長光寺山などから切り出されたが、この石は信長の甥で近江(滋賀県)高島を拠点にしていた津田信澄(1558?〜82)が持ち込んだとされる。高島から船で対岸の安土へ運んだのかもしれない。

 信長は羽柴秀吉(1537〜98)、滝川一益(1525〜86)丹羽長秀(1535〜85)の3人の重臣を奉行に命じ、1万人あまりが昼夜兼行で3日がかりで曳き上げたという。信長も自ら金のぬきを持ち、木遣きやり(労働歌)や笛や太鼓で囃すなど巧みにこの作業を指揮した。

f:id:maru4049:20200501132803j:plain

安土城天主台跡の礎石は小さいものばかり

 ところがこの石が今、どこにあるのかわからない。これだけの巨石なら天主の礎石に使おうとしたと思われるが、天主跡には見当たらないのだ。そもそも天主ではなく、鎮め石として本丸御殿地下に埋められている、という説もあるが、真相は不明のままだ。

続きを読む

信友と信勝を謀殺、信光も?血塗られた信長の尾張統一

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大河ドラマ麒麟きりんがくる」の放送が6月14日の放送回から休止するという。面白く観ていただけに残念だが、仕方ない。

 ただでさえ東京五輪の間の休止を見越して今年の大河ドラマは短いそれがさらに短くなるのだから、後半はかなりの駆け足になってしまうのではないか。反対に当初は短縮を予定していなかった分、尾張統一までは非常に丁寧に描かれている。

  •  信友と信勝の暗殺、ともに「帰蝶プロデュース」
  •  信光は信長を支えた武勇の人
  •  陰謀をめぐらす清須織田家の酒井大膳と対立
  • 信長に約束を反故にされた信光
  • 信友暗殺に使われた信光は信長に暗殺された? 
  • 弾正忠家の当主を名乗っていた信勝

 信友と信勝の暗殺、ともに「帰蝶プロデュース」

 まず4月26日放送回では、木下ほうかさんが演じる織田信光(1516〜56)が、梅垣義明さんが演じる清須織田家(大和守家)の織田彦五郎信友(?〜1555)を暗殺するシーンが描かれた。

 続いて5月17日放送回では、染谷将太さん演じる織田信長(1534〜82)が木村了さん演じる弟の末森城主、織田勘十郎信勝(?〜1558)を清須城で誘殺するシーンが描かれた。

 面白いのは、聖徳寺会見に続いてこの2つの暗殺について、ともに信長の妻、帰蝶濃姫、1535〜?)がそそのかしたように描いていることだ。

  信友の暗殺では、信友に碁を誘われた信光が帰蝶に相談するシーンがある。

信光「彦五郎(信友)に碁を打ちに来ないかと誘われている。さて、どうしたものかと...」

帰蝶「打ち(討ち)に行かれればよい。碁(彦「五」郎)を打った(討った)後には、すぐに信長も駆けつけましょう」 

 信勝について帰蝶は暗殺を教唆してはいないが、清須城で会うことを提案している。 

帰蝶「哀れな男が起こす愚かな戦にまだお付き合いなさるおつもりですか。いくら兵を失えば気が済むのですか」

信長「どうしろというのだ」

帰蝶「信勝様に何としてもお会いなさいませ」

信長「会うてどうする」

帰蝶「お顔を見て、どうすればよいかお決めになればよいのです」

 もちろん、ともに「蝮(斎藤道三、1494〜1556)の娘」らしい設定でドラマの創作だが、ありえない話ではないかもしれない。

 

f:id:maru4049:20200517221233j:plain

織田弾正忠家の略系図
続きを読む

朝廷に法を守らせた信長と検察定年延長問題

 検察官の定年を延長する検察庁法改正案について、SNS上で抗議の声が上がっている。検察OBが反対の意見書を出すのは異例といえる。

 政府は法案提出以前に黒川弘務高検検事長の定年延長を法律の解釈変更という閣議決定で強行している。法案はこの決定を「後付け」で正当化するものとみられている。

 黒川検事長の定年延長の話を聞いて、織田信長(1534〜82)が南都(奈良)の大寺院、興福寺のトップである別当職をめぐる正親町おおぎまち天皇(1517~93)の決定を覆した、天正4年(1574年)の「興福寺別当相論」が思い浮かんだ。

 この出来事は、天皇の権威をも凌駕しようとする信長の専制を象徴する事件とみられてきたが、最近の研究ではどうもそうではなかったようだ、ということが分かってきた。

読売新聞オンラインwebコラム本文

↑クリックして読売新聞オンラインの読者会員登録をするとお読みになれます

  • 高検検事長定年延長問題とは
  •  「興福寺別当相論」とは
  •  信長激怒「面目がつぶれる」
  •  もうひとつの介入「絹衣相論」
  • 双方の訴えを聞いた信長は…
  • 興福寺相論」にも通じる絶妙のバランス感覚
  • 「染谷信長」との親和性

f:id:maru4049:20210102211617p:plain


高検検事長定年延長問題とは

 詳しくはコラム本文を読んでいただきたいが、高検検事長の定年延長問題をおさらいしておく。検察庁のナンバー2である高検検事長検察庁法で63歳が定年と決まっている。黒川検事長は今年2月に63歳になったが、安倍内閣は法改正をしないまま、黒川氏の定年延長を閣議決定し、黒川氏は今年7月にも勇退が見込まれる稲田伸夫検事総長の後任に就くことが可能になった。

 国家公務員法には定年延長の規定があるが、これまで政府は「国家公務員法の規定は検察官には適用されない」と解釈してきた。首相すら逮捕できる強大な権限を持つ検察は政治的中立性を求められるからだ。ところが森雅子法相はこの解釈を変更し、その手続きも口頭決裁で済ませた。

 その後に国会に提出された検察庁法の改正案は検察官の定年を段階的に65歳に引き上げるというものだが、改正法が成立しても、後付けで黒川検事長の定年延長のいい加減な手続きを正当化することはできない。

 「興福寺別当相論」とは

  では、興福寺別当相論とはどんな話か。藤原氏の氏寺でもある興福寺別当職は、寺があげてきた候補者を藤原氏の代表者(氏長者うじのちょうじゃ、通常は関白)が補任し、天皇が勅許で認める慣例になっていた。

 天正元年(1573年)に興福寺別当に就任した松林院光実こうじつ(?~1585)は、早々とおいの東北院兼深けんしん(生没年不明)を次期別当に就け、朝廷の内諾も得ていたが、天正4年(1576年)になって、寺内から「兼深は維摩ゆいまえ探題たんだいをこなしていない」という理由で兼深の別当就任に異を唱える声が出た。

 維摩会は寺が催す最大の学会で、「探題」は僧たちに仏教に関する専門的な問題を出す大役。これを経験しないと興福寺トップにはなれないという寺法があった。

f:id:maru4049:20200510015315j:plain

興福寺維摩会(『春日権現験記絵巻.第11』国立国会図書館蔵)
続きを読む

人気の『流人道中記』に仕込まれた史実と幕末の空気

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言が、「特定警戒」に指定した茨城、石川、岐阜、愛知、福岡の5県を含む39県で解除される。

 だが、北海道、東京、神奈川、千葉、埼玉、京都、大阪、兵庫の8都道府県では緊急事態が維持される。解除される34県でも一気に緩んでしまってはこれまでの我慢が水の泡になる。大型連休中の旅行を我慢した人も多いだろうが、行楽はもう少しお預けだ。

  

 「こんな時には家で読書をしよう、どうせなら旅気分を味わいたい」と思った人向けに、読売新聞朝刊に連載され、3月に本になった浅田次郎さんの時代小説、『流人道中記』(中央公論新社)を紹介したい。

読売新聞オンラインコラム本文

↑クリックして読売新聞オンラインの読者会員登録をするとお読みになれます

  •   玄蕃の人柄に惹かれていく乙次郎
  • 今に通じる閉塞感
  • 敵討ちが日本で人気のワケ
  • 最も閉塞感を感じていたはずの玄蕃が...

f:id:maru4049:20200514135432j:plain

『流人道中記』玄蕃と乙次郎の25泊の奥州道中
続きを読む

「Fukushima50」を観て考える「10M」と「400年」

 東日本大震災から9年が経過した。福島県双葉町大熊町にまたがる東京電力福島第一原子力発電所(イチエフ)で起きた事故と、迫りくる「チェルノブイリ×10」の危機と闘った吉田昌郎まさお(1955~2013)所長らの姿を克明に描いた映画「Fukushima50」が公開された。

      

                  

youtu.be

 2020年2月に日本記者クラブの取材団に参加し、そこで見てきたことも加えて、そもそもイチエフはどうしてあの地に建ったのかについて振り返った。原作となった『死の淵を見た男』(角川文庫)の著者、ジャーナリスト、門田隆将かどたりゅうしょうさんとラジオ番組で共演し、インタビューして記事にまとめた。

 読売新聞オンラインwebコラム本文

↑どちらもクリックし、読売新聞オンラインの読者会員登録をするとお読みになれます

 吉田らのインタビューをもとに、あの時、何があったのかを描いたという意味では、『死の淵を見た男』の右に出る作品はないと思う。門田さんはこの本のなかで、事故の最大の原因は「海面から10mという高さに対する過信だった」と記している。

 致命的だったのは、原子炉を冷やす非常用電源が「十円盤(「10Mの敷地」の意味)」のタービン建屋の地下に設置され、津波で全電源を喪失してしまったことだ。この点については政府や国会、東電などの事故調査委員会がさまざまな報告書を出し、東電旧経営陣が強制起訴された訴訟でも焦点になっている。

 コラムも門田さんへのインタビューも、その点に多くの行数を割いた。2月上旬に日本記者クラブの取材団に参加し、廃炉作業が続くイチエフを取材し、高低差も実感してきた。

f:id:maru4049:20200305155901j:plain

門田さん(左)にインタビューを終えて
続きを読む