「第二次大戦の結果」とは
平和条約締結と北方領土返還をめぐる日露の協議が注目を集めている。ただ、気になるのはロシアのラブロフ外相が「日本は第二次世界大戦の結果を受け入れない唯一の国だ」という批判を口にしていることだ。
「北方4島はロシアの領土だ」ということをまず、受け入れろということなのだろうが、それは第二次世界大戦の結果なのか。ひとりの陸軍中将のある決断を掘り下げることで、それを再確認したい。
読売新聞オンラインのコラム本文
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ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリン(1878〜1953)は、北海道の北半分を占領しようとしていた。それを阻んだのが北方の守りを担当していた第五方面軍司令官の樋口季一郎陸軍中将(1888〜1970)だった。
密約による北海道侵略を阻止
ヤルタの密約で米英から南樺太と千島列島を手に入れる承認を得たスターリンは、終戦の詔書が出る4日前の8月11日に南樺太侵攻を命じ、ソ連軍は終戦の3日後の8月18日に北千島の占守島攻撃を開始した。樋口は大本営の武装解除命令に反して占守島の防衛を命じ、優勢に戦いを進めてソ連軍の侵攻を食い止める。
アメリカのマッカーサー司令長官が厚木に降り立った8月30日、まだ樺太と千島では戦闘は終わっていなかった。樋口の占守島防衛命令がなければソ連軍はマッカーサーが日本に来る前に北海道本島にになだれ込んでいた可能性が高いといわれている。樋口がスターリンの野望を止めた経緯はコラム本文をお読みいただきたい。
知っておきたい2つの史実
「第二次世界大戦の結果」を考える上で、2つの事実を提示しておく。ひとつはソ連軍が歯舞諸島に上陸を開始したのは9月3日だということ。前日の2日に日本は正式に降伏文書に署名している。歯舞は国際法上も第二次世界大戦が終結した9月2日より後に占領されているのだ。
もうひとつは、北方4島に攻め込んだのは、スターリンが北海道占領に使う予定だった南樺太のソ連軍だということ。樋口の抵抗に悩まされながらも千島列島を南下したソ連軍でしたが、択捉島の北、得撫島で進軍をピタリと止めている。
千島列島の占領が完了したと思ったからだとすると、スターリンやソ連軍も「北方4島は千島列島ではない」と思っていたという傍証にならないだろうか。
樋口はこれより前、ナチス・ドイツの迫害からソ連・満州国境まで逃れてきたユダヤ系ドイツ人に食料を与え、ドイツの引き渡し要求を拒否して満州への入国を認めた(オトポール事件)ことがある。
ヒトラーはユダヤ人の身柄の引き渡しを求めるが、樋口は東条英機を説得し、日本は拒否する。ユダヤ系ドイツ人は満州から中国、そこから第三国に逃げることができ、この逃亡経路は「ヒグチ・ルート」と呼ばれたという。
このことが第二次世界大戦後の樋口の運命を決めることになるのだが、その経緯はコラム本文をお読みいただきたい。当時ヒトラーとスターリンの両方に反抗することにどれほど強い意志が必要だったかを考えると、それだけで樋口は尊敬できる人物であることが分かる。
「深層NEWS」にお招きして話を聞いた孫の樋口隆一さんは、祖父の功績をまとめた大著を出した。このコラムの書籍化にあたり、参考にさせていただいた。
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