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読売新聞編集委員  丸山淳一

『麒麟がくる』本能寺のトリガーは家康?は大外れだったが…

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織田信長

 麒麟がくる』最終回の本能寺の変については、ドラマの結末を見てからもう一度書く、と前回のコラムに記したが、公表された最終回の粗筋を読んで言っておきたいことができた。本能寺のトリガーは家康暗殺指令になる恐れがあるが、それはないと思う。

気になる「究極の命令」の内容

 15分延長で描かれる最終回のあらすじは以下の通りだ。

 「宿敵・武田家を打ち滅ぼした戦勝祝いの席で、光秀は信長から理不尽な叱責を受け、饗応役の任を解かれる。追い打ちをかけるように信長は、光秀と縁深い四国の長宗我部征伐に相談もなしに乗り出すと告げる。『殿は戦の度に変わってしまった』と、その行き過ぎた態度をいさめる光秀に、『己を変えたのは戦ではなく光秀自身だ』と信長は冷たく言い放つ。そしてついに、ある究極の命令を光秀に突き付ける――。」

 気になるのは最後の「究極の命令」だ。すでに謀反に傾いている明智光秀(?~1582)を本能寺の変に走らせる、とても呑めない命令であることは間違いない。

 前のコラムで、光秀が織田信長(1534~82)を月に昇る「桂男」に見たてているのは、本能寺の変と暦との関係を描くつもりではないかと考え、信長が朝廷の大権だった暦の制定にも介入しようとしていたことを紹介した。しかし、暦の改変工作を光秀に命じたというのだけでは、謀反の理由としては弱い。暦の改変を信長の「非道」のひとつとしても、その改変工作を命じたくらいでは究極の命令とはいわないだろう。

史実に従うなら斎藤利三への切腹命令

 本能寺の変直前に信長が光秀に出したと伝わる中で信ぴょう性が高いとみられているのは、主君を稲葉氏から光秀に鞍替えした斎藤利三(1534~82)に対する「切腹命令」だ。直接これを裏付ける証拠はないが、利三とともに光秀に引き抜かれた稲葉家の家臣、那波直治については、信長が「法に背く」として稲葉氏に返すよう裁定した書状が残っている。この時期に稲葉家と光秀が家臣をめぐって揉めていたのは間違いない。

 最終回には長曾我部元親(1539~99)も登場するというから、謀反の理由には「四国説」の要素も加えるのだろう。利三は元親と親戚関係にある。利三が四国攻めに反対し、切腹させよと光秀に命じて光秀の堪忍袋の緒が切れる、という展開はありうるが、究極の命令というには、やはり弱い。ドラマでは利三の引き抜き問題を最初に光秀に話した時、信長は「小さい話」と言っていた。

 もうひとつ、信長が光秀に、領国の丹波、近江を召し上げて、石見、出雲への国替えを命じたという話もある。しかし、領国の再編成は「大きな国をつくる」ためには避けて通れず、光秀は領国を召し上げられて追放されるわけではない。

 では、だれもが「究極」と納得する命令は、と考えると、思い浮かぶのがドラマ終盤に光秀に急速に接近している徳川家康(1543~1616)の暗殺命令くらい残らない。

まさかの家康暗殺命令か

 家康が本能寺の変を事前に知っていたという筋書きが大河ドラマで描かれるのは初めてではない。2017年に放送された『おんな城主 直虎』でも市川海老蔵さん(『麒麟がくる』ではナレーター)が演じる信長が家康暗殺を光秀に命じる展開だった。堺にいる家康を本能寺におびき出し、光秀に襲わせるつもりが、光秀の謀反にあって殺されたという説で、光秀の子孫だという明智憲三郎氏が唱えている説だ。暗殺命令の動機は宿敵の武田氏を滅ぼし、もはや家康は用済みになったからというのだが、これはおかしい。

 信長が家康を暗殺したいなら、わざわざ本能寺におびき寄せなくても、安土の饗応の席で襲えばいい。まだ東国が安定しておらず、信長とは友好的な姿勢をとっているとはいえ、小田原には北条氏がいる。家康を殺す戦略的な理由はどこにもない。

戦略的な暗殺動機はないが…

 戦略的な動機がなければ、感情的な動機で押し通す?まさか、自分になびかない光秀を慕う家康に嫉妬したのが殺害の動機、とはすまい…と書いたところで、いや、あり得るなと思い直した。ドラマの中で信長は、宣教師からもらった洋服を贈ったり、いっしょに鼓を打とうと誘ったり、官位をあげるといったりして、光秀の気を引こうとしている。なのに光秀との溝は深まる一方で、光秀は信長になびくどころか、特段何の便宜も図っていない家康と仲良くしている。

 ひょっとして、家康を殺せば光秀は自分の方を向くだろう、という屈折した心理から家康暗殺を命じる筋書きではないか。そうなると、光秀は家康は殺さず、岡村隆史さんが演じる菊丸に「本能寺には行くな」とでもメッセージを託し、家康を逃がすのだろう。岡村さんのコメントは、この予想と符合する。

終盤が駆け足過ぎたのが残念だ 

 もし筆者の予想が当たっていたとしたら、飛躍が過ぎる。ドラマはフィクションだからどう描いてもいいのだが、家康暗殺命令説は学会ではほとんど支持されておらず、時代考証を担当した小和田哲男さんも著書の中で明確に否定している。現時点では「陰謀論」の類といえる。フィクションゆえの細部の創作はいいとしても、信長と家康の関係を決定的に左右する出来事を創作するのはいかがなものか。

 『麒麟がくる』は途中までは最新の学説も取り入れた骨太の大河ドラマと評価していたが、終盤になるにつれて光秀が鞆の浦に行ったり、帰蝶を上京させて「信長に毒を盛る」と言わせたり、家康が船に乗って会いにきたりという荒唐無稽な創作シーンが増えていた。

 全部で44回しかない尺不足のせいで、あわただしく伏線を張って、架空の人物やシーンを挿入して無理に回収している感がぬぐえない。最終回の台本が書きあがったのは昨年12月初めだったというから、コロナの影響もあったのだろう。ドラマの中で「信長様は焦っている」というセリフがあったが、焦っているのはドラマの方ではないか。

 もはや最終回もl撮り終えた時点でこんなことを書いても仕方ないけれど、大河ドラマはやはりホームドラマとは一線を画してほしいと思うのは、私だけだろうか。「家康暗殺命令」は、見当違いの筆者の嫌な夢であってほしいが、桂男のくだりまでは、筆者の予想はおおむね当たっている。

            ◇

 日曜日の最終回、BSの「早麒麟」と総合の「本麒麟」2回視た。上記の結果は大外れ。「義昭暗殺命令」だったとは…。このころ義昭は、身を寄せていた毛利からも疎んじられていたというし、ドラマの中では釣りしかしておらず、もはや影響力はなかったと思う。家康でなくてよかったが、これも史実とは思えず、将軍の影響力を過大評価しすぎだろう。

 『麒麟がくる』の筆者なりの総括は、コラム本文で書くことにする。

*2月9日に加筆しました。

 

 

 

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