今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

海外火山大噴火、対応が分かれた2人の将軍

 南太平洋の島国、トンガの海底火山で2022年1月15日、大規模な噴火があった。噴煙は上空約20キロと成層圏にまで達し、火山灰は最大で半径400キロにわたって広がったとみられる。噴出物の量から噴火の規模を示す「火山爆発指数」(VEI)は5か6で、世界でもこの規模の噴火は50年に1度しかない。

気象衛星ひまわりが撮影した海底火山の噴煙(日本時間1月15日午後2時30
分)トゥルーカラー再現画像(気象庁ホームページより JMA、NOAA/NESDIS、CSU/CIRA)

 噴火で排出された硫黄分は大気中の水と化合して硫酸エアロゾル(微粒子)となり、成層圏で拡散すると数年間、日傘のように地球を覆い続ける。地表に届く太陽光が減り、地球規模の寒冷化が起きる。数年間にわたって世界各地で農作物が不作になり、食料不足は社会不安や戦乱の要因になる。当然、日本もその例外ではない。

 今は海外で大規模噴火が起きても情報はすぐに伝わるが、かつてはそうはいかなかった。かつての為政者たちは「見えない環境異変」にどう対応したのか、調べてみた。

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室町時代中期にはクワエ火山の大噴火

 室町時代中期、1440年代には世界的に寒冷期がやってきた。最初は太陽の黒点の減少が主因だったとみられるが、50年代に入ると、火山噴火が重なって寒冷期は長期化した。

 1452年から翌年にかけては、バヌアツ共和国にあるクワエ火山が大噴火した。グリーンランドと南極の氷床では57年ごろまでの層から硫酸エアロゾルが検出されている。

 日本でも天候不順が続いて、享徳3年(1454年)と長禄元年(1457年)には京都近郊で大規模な つちいっが起き、幕府が差し向けた鎮圧軍を破っている。

足利義政(『肖像集』国立国会図書館蔵)

何も対策を取らない足利義政天皇に怒られる

 しかし、室町幕府8代将軍の足利義政(1436~90)は政治を疎んじ、特に対策を講じなかった。それどころか「国の飢饉をあわれむことなく」将軍御所を山水草木で飾り立て、幕府全盛期の「花の御所」を再現しようとしたという(『長禄寛正記』)。 

 見かねた後花園天皇(1419~71)は寛正3年(1462年)、自作の漢詩に寄せて義政を いさ めた。

 残民 争ひ採る 首陽の薇
 処処 炉を閉ぢ 竹扉を とざ す
 詩興 吟ずれば酸なり 春二月
 満城の紅緑 誰が為に肥ゆ

(飢饉のなか、民は食べるものがなく、まるで中国・周の首陽山で餓死した伯夷・叔斉の兄弟のように野草を争い採って食べている。どこの家も  に火はなく玄関も戸も閉じたままだ。詩を吟じても つらく苦しいばかりの春である。都に満ちている花や緑は誰のために生い茂っているのか、楽しむ者などいないのに)

 さすがに義政は反省して御所の修築を中止したというが、御所はその5年後、応仁の乱の戦火で焼亡してしまう。土一揆に敗れた大名は、武装した一揆勢を自軍の兵に採用し、足軽や雑兵による乱暴や略奪は当たり前の戦国時代は100年以上も続くことになる。

徳川家光堺市博物館蔵)

飢饉対策で指導力を発揮した家光

 江戸時代にも、日本は何度か海外での火山噴火が原因とみられる飢饉に見舞われた。1631年にはイタリアのベスビオ火山、40年にはフィリピン・ミンダナオ島のパーカー火山が噴火し、日本では寛永の飢饉が発生している。ともにVEIは5で巨大噴火ではないが、他にもVEI4クラスの噴火が重なったことで大量の硫酸エアロゾルが放出されたとみられる。

 江戸幕府3代将軍の徳川家光(1604~51)は飢饉に対し、義政とは真逆に高い政治力を発揮する。参勤交代で江戸にいた西国大名に「 撫民ぶみんに努めよ」と帰国を許し、各地の城主や江戸町奉行、大坂町奉行江戸城に呼んで凶作の理由についてじかにヒアリングを行った。

 評定衆に対策づくりを指示し、江戸城では20回以上の飢餓対策会議が開かれた。決まった対策はただちに諸大名に伝えられ、庶民には高札で公表されたという。

 農民には、年貢は不正なくきちんと納めること、ふだん通り耕作に精を出すことなど、いつも通り働くことが命じられた。町民には質素倹約を求め、酒造禁止令や粉食品禁止令が出された。大名には普請などの使役に農民を使わないことなど、領民の負担軽減を求めている。幕府や大名から庶民まで、みなができることをする「共助」を呼びかけたのが特徴だ。

トンガ噴火の影響は小さかったが…

 人工衛星のデータ解析によると、1月15日のトンガ海底火山の大噴火で放出された硫黄分は約40万トンと、日本に冷夏をもたらした平成3年(1991年)のフィリピン・ピナツボ火山噴火の50分の1程度にとどまるという。だが、何度放出されても火山のエネルギーは尽きることはない。

 1257年に有史以来最大の巨大噴火を起こしたとされるタンボラ火山は、1815年にもVEI7クラスの巨大噴火を起こしている。鹿児島沖の鬼界カルデラでは現在も火山活動が続いており、海底には巨大な溶岩ドームが形成されているという。

 今は人工衛星などによる観測網と、先人が積み上げてきた科学や防災の知識がある。なすすべなし、とあきらめた足利義政を反面教師にして、世界的な観測網を宝の持ち腐れにしてはならない。

 

 

 

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