近藤重蔵(1771〜1829)といえば蝦夷地探検で有名だ。ところが息子の富蔵(1805〜87)が起こした大量殺人に連座して、不遇な晩年を送ったことはあまり知られていない。しかもその事件は親子の相克を経て起き、重蔵にも責任の一端があると言わざるを得ない面がある。
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現在に通じるエリートの転落
幕府の登用試験に合格し、蝦夷地探検のリーダーに抜擢されて身を粉にして働いた重蔵だが、出世の壁に突き当たり、自信家で猪突猛進な性格が災いして転落していく。息子・富蔵の子育てもうまくいかなかった。
それぞれの事情は詳らかではないから断定は慎みたいが、重蔵の人生を見ていくと、最近の親子の殺伐とした関係を思い起こさずにはいられない。中央官庁のトップにのぼり詰めた元農水次官が自分の子どもを殺めた事件などが、その代表だろうか。
親はいつまで子どもに責任を持つのか
今は「勘当」は社会的には認められないが、それが認められていた昔ですら重蔵は責めを負った。最近は大人になっても自立できない子どもが増えているようだ。ますます親は、老いてからも子どもの言動に責任を持たなければならなくなっている。
富蔵は八丈島に流されてからすっかり改心し、立派な仕事を残して顕彰されている。過去は消えないが、過ちをしたらこの世から抹殺されるというのも短絡的すぎる。重蔵と富蔵のその後の人生は、再チャレンジの仕組みの重要性を今に教訓として伝えているようにも思える。
「抜擢」と「分」のバランス
別の角度から重蔵の転落を見ると、身分を問わず抜擢されても、分をわきまえなければならないことへの矛盾も感じる。これは今でも同じなのだろう。
見えない壁を打ち破るための行動力には敬服するが、やはり別宅に富士山を作ったり、その入り口に自らの石像を置くのはやりすぎにも思える。「身の丈をわきまえる」ことの是非についても考えさせられる。
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重蔵は「江戸のしくじり先生」かもしれない。さまざまな要素が今につながっているという意味で「今につながる日本史」で紹介するのにふさわしい人であることは間違いない。
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