今につながる日本史+α

今につながる日本史+α

読売新聞編集委員  丸山淳一

江戸の「IR長者」大久保今助は鰻丼だけの人じゃない

 大久保今助(1757〜1834)という江戸の大富豪をご存じだろうか。江戸時代に利権を駆使してカジノ、劇場、ショッピングモールなどを次々に手がけ「今太閤」と呼ばれた商人だ。

 統合型リゾート(IR)をめぐる汚職事件と根っこは同じにみえる。今助の波乱万丈の生涯について調べてみた。

  読売新聞オンラインwebコラム本文

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  •  鰻丼の考案者は本当に今助か
  •  転落招いた熾烈な権力闘争
  • 新田開発も土地転売が狙いか

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 鰻丼の考案者は本当に今助か

 今助は鰻丼の考案者として知られ、茨城県牛久市では今助と絡めてPRしているうようだ。牛久沼はウナギの産地で、周辺に鰻屋も多い。

 江戸と水戸の間を行き来していた今助が牛久の渡しを使い、乗り場の茶屋で鰻を食べようとしていた時に船が出そうになったため、あわてて白飯の上に鰻を乗せてふたをして、船を降りてから食べたらおいしかった…という話もあるようだ。

 しかし、これは異説もあって、真偽ははっきりしない。コラム本文で根拠に挙げた『俗事百工起源』以外にも鰻丼の別の由来を記した文書もある。

 鰻丼をはじめ、蒲焼きや割り箸の起源については「ウナギ愛5000年の歴史」でも取り上げた。詳しくはそちらをお読みいただきたい。

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コロナ感染拡大 の一因 中国の 「春節」と暦の話

 新型コロナウイルスが世界に拡大している。1月24日から中国は春節旧正月)の時期(24日が大晦日にあたる)を迎え、のべ30億人が移動する「世界最大の民族移動」の直前という最悪のタイミングで発生した、ということは別のコラムで記した。

 この時期は留学生が海外から帰省し、中国国内から海外への旅行も行われる。中国当局は大晦日近くになって移動を制限したが、すでに旅行は始まっていた。移動制限が春節の直前まで遅れたことでウイルスが全世界に拡散されてしまった可能性が高い。

 

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春節の風景

もしコロナ感染が1年遅れていたら

 だが、もし新型コロナウイルスによる感染が1年遅れていたら、春節までの間に感染の拡大を止めることができた可能性がある。来年の春節は今年より18日も遅い2月12日。今年と同じ時期に移動制限をしていれば、ウイルスの世界への拡散を食い止められたかもしれないのだ。

 中国では正月や盂蘭盆うらぼんえ端午の節句などの年中行事は旧暦で祝う。1月24日には中国版の紅白歌合戦が放送され、年が明ければ新年のあいさつをし、子どもはお年玉をもらえる。やることはそう変わらない。では、なぜ日本と中国は正月を祝う時期が違うようになったのか。このことは多くの日本人が忘れてしまっている。

旧暦で正月を祝わないのは日本だけ

 太陽暦は全世界で採用され、世界中どこでも1月1日は同じ日にやって来る。だが、日本は太陽暦の日付で正月を祝うが、これは東アジアではむしろ例外で、日本以外では中国と同じく「正月」は旧暦で祝う。暦は太陽暦でも、日本以外の東アジアでは、旧暦はもはや使わない「ふるい暦」ではないわけだ。

今の暦と旧暦とのズレ

 今の暦(太陽暦)と旧暦の違いは、太陽暦が太陽の動きだけで毎月の長さを決めるのに対し、旧暦は太陰(月)の満ち欠け(朔望)によって暦月を立て、太陽の運行に合わせてつくられているということだ。

 よく旧暦は「太陰暦」という誤解があるが、月の満ち欠けだけで決める「太陰暦」とも違う。太陽の動きも考慮して閏月を入れているから「太陰太陽暦」というのが正しい。

 地球は太陽の周りを約365日で1周するが、月の満ち欠けの周期は29日で、365÷12=約30日より短い。月の満ち欠けで1か月の長さを決めると、1年は

 約29.5日×12ヶ月=約354日

となる。そうなると太陽暦太陰暦では1年後の同じ日の地球の位置は

 365日−354日=約11日

のズレが出る。放置すれば太陽との位置関係で決まる春夏秋冬の季節と月がずれていくので、旧暦では2〜3年に1度(正確には19年に7度)「閏月」を置いて、太陽の運行とのずれを修正する。

 閏月が入った旧暦の1年は

354日+約30日=約384日

となるから太陽暦から見ると、閏月の入った翌年は

384-365=約19日

後にズレることになる。

 ということで、旧暦の1月1日、つまり春節が始まる時期(太陽暦)は閏月のない年の翌年は前年より約11日早まり、閏月が入った年の翌年は前年より約19日遅くなる。最近の春節は、
2018年:2月16日(+19日)
2019年:2月5日(-11日)
2020年:1月25日(-11日)
2021年:2月12日(+18日)

に始まっているが、2020年には旧暦では閏月があり、21年の春節は2月12日から始まる。来年なら、中国当局は今年のように春節休暇を延長しなくても、「民族大移動」が始まる前に流行を抑え込むことができたかもしれないことになる。

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それぞれの暦にはよいところも

 「毎年日付がズレるのは面倒だ。中国も日本のように太陽暦の1月1日に祝うことにすればいいのに」と思いがちだが、旧暦には旧暦の良いところがある。

 月の満ち欠けに連動して起きる自然現象はいつも同じ日に来る。年に1回の中国銭塘江の大逆流は潮の干満の差が原因で起きるが、旧暦では毎年中秋の名月の翌日、旧暦の8月16日に起きる。この日は1年で最も干満の差が大きい大潮の日なのだ。

 潮の満ち引きは産卵や生殖と関係があるとされ、生き物の生態を知るには便利だ。とはいえ四季がはっきりしている東アジアでは季節間との調整が必要になるから太陰太陽暦を採用したのだろう。

 砂漠が多くはっきりした四季がないイスラム圏では閏月を入れない「太陰暦」を使っていた。さらに付け加えると、太陽暦をつくったエジプトでは、ナイル川の氾濫は太陽の動きに連動し、月の満ち欠けには全く関係なく起きるという。それぞれの暦が使われてきたのには、それぞれの理由があるのだ。

日本の太陽暦移行の隠れた理由 

 では、日本だけがなぜ正月を太陽暦で祝うようになったのか。その前に、日本の太陽暦導入の経緯を振り返っておく。

 日本が太陽暦を採用したのは、明治5年(1872)11月9日の改暦の詔書による。1年を365日とし、それを12月に分け、4年毎に閏年をおくこと、1日を24時間とすること、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年(1873)1月1日とすることが突然決められた。

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改暦の詔書国立公文書館蔵)

 改暦は文明開化で推進された欧化政策の一環だが、あまりに急な決定だった。推進した大隈重信(1838〜1922)は後に『大隈伯昔日譚』で、「改暦の理由は財政問題だった」と述懐している。

 旧幕府時代は官吏の俸給が年俸制だったが、維新後は月給制になったため、閏月がある年には1か月分、余分の出費が必要となった。

 旧暦では明治6年に閏月がある。暦を明治6年から太陽暦に変えれば、明治5年12月は数日で終わり、明治6年の閏月(6月)の計2か月分の月給を払わなくてすむ。「此閏月を除き以て財政の困難を済はんには、断然暦制を変更するの外なし」との結論に至ったという。当時、大隈は留守政府の財政責任者だった。

 突然の改暦には不満も出たが、福沢諭吉(1835〜1901)はすぐに『改暦弁』という太陽暦の解説書を出版して改暦を支持した。この本は大ヒットし、本の売上げで慶応義塾の経営状態が改善したという。早稲田大学を創立する大隈が、慶応の福沢を救った逸話として知られている。

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大隈重信(左)と福沢諭吉国立国会図書館蔵)

 大隈が強引な手法で太陽暦に改めてからも、年中行事は他の東アジアの国と同じく、旧暦で行われていた。年中行事を行う日をいまの暦(太陽暦)の日とみなして行うのが定着したのは、戦後のことだといわれる。

 太陽暦を使いながら年中行事の日を変えなかった他のアジア諸国と異なり、古来からの年中行事の日は太陽暦のこの日、とみなしてずらしていったのは、やはり日本全体が西洋と、西洋の合理主義を取り入れ続けたことと無縁ではないだろう。

 コロナウイルスも生物とすれば、その営みと関係があるとされる旧暦の方がその流行と周期があっていたのか。西洋の合理主義から見ればナンセンスなつぶやきだが、先人が積み上げてきた暦からは、そんな神秘を感じてしまう。

*その後の情報を受けて内容を更新しました。

 

 主要参考文献

小島穀『織田信長 最期の茶会』(2009、光文社新書

 

maruyomi.hatenablog.com

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南海トラフ地震と津波はいつ来るのか 古文書が示す4法則

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 政府の地震調査委員会が、南海トラフ地震に伴い今後30年以内に津波に襲われる確率を初めて地域ごとに算出し、その地図を公表した。

 静岡や高知、和歌山など10都県71市区町村に高さ3m(メートル)以上の津波が26%以上の「非常に高い」確率で押し寄せるという。

  •  高知沿岸すべてに3m以上の津波
  • 「半割れ」連動の繰り返し
  • 西→東のパターンもあり得る

 高知沿岸すべてに3m以上の津波

 地震調査委は南海トラフ地震に伴う津波を約35万パターンも想定したうえで、福島〜鹿児島県の沿岸部で3m以上、5m以上、10m以上の津波が襲う確率をそれぞれ出した。

 26%以上の確率で3m以上の津波が来る、とされたのは東京の島嶼とうしょ部~宮崎県の範囲で、高知県の沿岸は全市町村が含まれる。5m以上の津波は7都県29市町村だった。

 「30年以内に70~80%の確率で起きる」とされる南海トラフ地震については、すでに事前避難の指針などが示されている。 www.news24.jp

 地震発生の可能性が高まって「臨時情報」が出た際は、被災していない地域の住民も1週間程度避難するのが望ましいとされ、市町村は指針を踏まえた具体的な防災対応策を2020年度までに整えることが求められている。

 今回の津波確率は、対応策づくりの参考になる。地震本部の報告書にはもうひとつ、重要な図表がある。南海トラフ地震はいつ来るのかを推計する上で不可欠な、過去の記録を精査した結果だ。

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ゴーン被告は不正義から逃げたのか?義経伝説との共通点

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 「私は正義から逃げたのではない、不正義と政治的迫害から逃れたのだ」

 ゴーン被告が逃亡後にレバノンで行った記者会見で述べた言葉の中で、私が一番印象に残ったのはこのセリフだった。

 この言葉を聞いて思い浮かんだのは、源義経(1159〜89)だった。義経が平泉で自害したというのは嘘で、大陸に渡ってチンギス・ハン(成吉思汗)になったのだ、という「義経北行伝説」を振り返ってみた。

  読売新聞オンラインwebコラム本文

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  • 「成吉思汗」の字を分解すると…?
  • 義経伝説は一種の宗教」
  • 日本に戻らないのはおかしい
  • 判官贔屓が世界に拡散?

  webコラム本文でも書いたが、私は義経成吉思汗チンギスハン説は信じていない。今回、この説の完成形とされる小谷部全一郎(1868〜1941)の『源義経ハ成吉思汗也』(国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている)も読んでみたが、色眼鏡なしに読んだつもりでも、どうしても牽強付会に思えてしまう。

「成吉思汗」の字を分解すると…?

 義経=成吉思汗説の主張をひとつだけ紹介しておく。「王位」を「汗」の字で示すのは成吉思汗が始めたことだそうだが、汗の字は「サンズイ」と「干」に分解すると「スイカン」と読める。スイカンは白拍子の衣装を意味し、つまり義経の愛人の白拍子で、義経が平泉に向かう前に吉野で別れた静御前(生没年不明)を指しているという。

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頼朝(左奥)の前で舞う静御前(『大日本歴史錦繪』部分、国立国会図書館蔵)

 まだ続きがある。静御前には鶴岡八幡宮落成を祝って若宮堂で自作の歌を詠じながら舞を舞ったというエピソードがある。その歌とは、

しずやしず しずのおだまきくりかえし むかしを今に なすよしもがな

(しずの布を織る麻糸を巻いたおだまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)

吉野山 峰の白雪ふみわけて 配流人の あとぞ恋しき

(吉野の山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠したあの人のあとが恋しい)

 義経への恋慕を募らせる有名な恋歌なのだが、「成吉思汗」を漢文で読み下すと「吉成りて水干を思う」となる。「吉」は「吉野山」のことで、「成吉思汗」という称号は「吉野山の誓い成りて、静御前を思う」と読めるというのだ。

 さらに今度は「成吉思汗」を万葉仮名として読むと「なすよしもがな」になり、義経「成吉思汗」という名前で、上の歌への返しをした、ということになる。

 よく考えたな、とは思うが、果たしてこれが義経=成吉思汗の決定的な証拠だろうか。そうは思えない。「信じる、信じないはあなた次第」ではあるが。

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新発見!信玄の信長宛て書状から読む戦国大名の外交戦

 元亀元年(1570)に武田信玄(1521~73)から織田信長(1534~82)に出された書状が見つかった。戦国期の史料を集める一般財団法人「太陽コレクション」が2019年、書画骨董業者を通じて購入したという。

 東京都市大准教授の丸島和洋さんと、東京大史料編纂所准教授の金子拓さんが信玄の書状と確認したというから、本物で間違いない。

www.yomiuri.co.jp

  • 元亀元年(1570)7月のものか
  • 最初の接触は信長側から
  • 「義信事件」で同盟強化?
  • 「甲越和与」破棄のワケ
  • 信長はなぜ信玄を支持した?
  • 信玄の裏切りに激怒した信長
  • 外交戦とはかくも複雑

元亀元年(1570)7月のものか

 読売新聞の記事によると、書状は信長からの手紙への返書で、このなかで信玄は信長に深い謝意を伝えている。

 「お気遣いをいただき、どのようにお礼してよいか分かりません。越後(上杉氏)と甲斐(武田氏)が戦争になったら、何をおいても(信玄に)お味方くださるとのこと、頼もしく存じます」

 日付は7月14日で年の記載はないが、丸島さんは信長が足利義昭(1537~97)を奉じて上洛した永禄11年(1568)以降の書状とみている。

 信玄と上杉謙信(1530〜78)は元亀元年(1570)10月に、川中島の合戦以降続いてきた和睦を破棄している。手紙は両者の緊張が高まった同年7月に書かれた可能性が高いという。

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川中島古戦場の謙信、信玄像

 信玄と謙信は5度にわたる川中島の合戦以降、目立った衝突をしていない。だが、史実はそう単純ではない。この書状にいたるまでには将軍や戦国大名を交えた激しいかけ引きがあった。

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「麒麟がくる」帰蝶の再婚相手となり天下が獲れた信長

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清洲城公園に建つ帰蝶の像

 いつもの年なら始まっている大河ドラマが始まらない。「麒麟がくる」で織田信長の妻、帰蝶濃姫、1535〜?)を演じる予定だった沢尻エリカ被告が違法薬物所持で逮捕、起訴され、急きょ川口春奈さんに差し替えて撮り直しをしているためだ。

 急きょ「帰蝶」を演じることになった(初回から出演するのだから本来は代役と呼ぶのはおかしい)川口さんへのエールも込めて、帰蝶についてまとめてみた。

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  • 撮り直しは重要な役の証
  • 謎だらけ、でも大きな役割
  • 川口春奈帰蝶は活動的で男勝り?

撮り直しは重要な役の証

 帰蝶がドラマ初回から登場するということは、重要な役回りである証だろう。実は斎藤道三(1494〜1556)と織田信長(1534〜82)を主人公に描いた大河ドラマ国盗り物語』も、司馬遼太郎の原作とは異なり、初回の冒頭のシーンが帰蝶の輿入れから始まっている。

  麒麟がくる」もすでに沢尻エリカ被告の収録が進んでいたからこそ、撮り直しによって初回の放送が1月下旬までずれ込んでしまったのだろう。 

 大河ドラマは2019年の「いだてん」も出演者の薬物汚染で苦労している。「作品に罪はない」というのはその通りだと思うが、沢尻被告の降板は初回放送前に決まったことだ。途中で重要な配役が代わるという違和感をなくすため、初回を遅らせて撮り直すというのは適切な対応だったのではないか。

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明智光秀の記録残した吉田兼見日記と「桜を見る会」問題

 安倍首相に対する「桜を見る会」についての批判が収まらない。公文書を恣意的に棄てたり、百歩、いや1万歩譲って恣意的でないとしても、ずさんにシュレッダーしてしまったりすることがいかに問題か、安土桃山時代の公家、吉田兼見(1535〜1610)の2冊の日記の話から考えてみた。

読売新聞オンラインwebコラム全文

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  • 天正10年の日記は2冊ある
  • 「桜」より問題なのは公文書管理
  • 日記は公文書とは違うけれど…

天正10年の日記は2冊ある

 天正10年(1582年)に本能寺の変を起こした明智光秀(?〜1582)と交友があった兼見は、光秀との記録も日記『兼見卿記』に記しているが、本能寺の変から山崎の合戦までの光秀の「三日天下」の間の日記には正本と別本の2冊が残っている。

 光秀の謀反に協力したと疑われないように、この間の日記を後から書き換えたと見られているが、謎なのは、なぜ書き換える前のオリジナル(別本)を廃棄せずに残したのか、ということだ。コラム本文では私なりの解釈をしてみた。ご意見があればぜひ、教えてください。

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坂本城址に立つ明智光秀の像

  大河ドラマ麒麟がくる」放送開始を前に、書店にはさまざまな「光秀研究本」が並んでいる。「2冊の日記の謎」はこうした本の多くで研究者が言及しているので、歴史ファンにはご存知の方も多いだろう。

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