歴史学者、磯田道史さんの『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)を、本棚に戻す前に読みなおすことになるとは思わなかった。大阪北部地震から1か月もたたないうちに、西日本を記録的な豪雨が襲った。被災地はその後も「災害級」の猛暑と台風12号の直撃を受けた。
災害地名は先人たちの警告
土砂崩れなどで100人以上が亡くなった広島県では、2014年にも広島市安佐南区八木などで、多くの死者を出している。磯田さんは広島の土砂災害の後、本のタイトル通りにこの地区の郷土史を読みなおし、戦国武将・香川勝雄(1515~69)の大蛇退治の伝説があること、かつて伝説にちなむ「蛇落地」「蛇王池」という地名があった、と記している。
昔は土砂崩れを「蛇崩れ」や「蛇落」と呼び、「蛇落地」は地区で土砂崩れがあったことを示す「災害地名」の可能性が高い。だが、宝暦12年(1762)の土地台帳にはすでに「蛇落地」の地名はなく、代わりに音(読み)がよく似た「上楽寺(上楽地)」という字あざ名がある。後世の住民が忌まわしい記録を縁起のいい名前に変えたとすれば、先人の警告を消してしまったことになる。
西日本豪雨で大きな被害が出た被災地には「蛇落地」のような災害地名や、災害の伝承や逸話はあったのだろうか。
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水害常習地、豪雨に悩んだ「川辺」「池田」
小田川の堤防が決壊し、1200ヘクタールが水没した岡山県倉敷市真備町は、奈良時代の学者・吉備吉備真備(695~775)がこの地の出身というのが由来で、町名は災害に由来していない。しかし、被害が大きかった川辺地区は文字通りの「川の辺べ」で、水害の常習地だった。
小田川が合流する高梁川は水量が多く、豊臣秀吉(1537~98)の高松城の水攻めにも利用された。国土交通省河川局の「高梁川水系河川整備基本方針」によると、秀吉の時代の高梁川は平野部の流路が今と異なり、足守あしもり川、笹ヶ瀬川を辿って児島湾に注ぐ流路もあったという。一方の小田川は勾配が緩く、増水時には大量の水が逆流する「バックウォーター」が頻発していた。
江戸時代にこの地を治めた備中(岡山県)岡田藩は、山陽道の宿場町だった川辺宿を丸ごと「神楽土手」と呼ばれた堤防で囲んでいた。初代藩主の伊東長実(1560~1629)は、関ケ原の戦いの直前に徳川家康(1543~1616)にいち早く石田三成(1560~1600)の挙兵を知らせた功績で、美濃池田郡にも領地を得た。長実は川辺地区と池田郡の治水を同じ家臣に担当させ、暴れ川を抱える美濃(岐阜県)の輪中堤防の技術を神楽土手に導入したとされる。
ちなみに岐阜の「池田」の「イケ」にも「水のある所」という意味がある。西日本豪雨では岐阜県西部も記録的な大雨に見舞われているが、かつて岡田藩も領地の同時豪雨に悩まされ、水防の専門家を育成しようとしたのかもしれない。
川辺地区では明治以降も堤防の補強や護岸整備が進められたが、水害はやまず、ふたつの川の合流地点を付け替える大規模な河川整備があと数か月で着工の予定だった。多くの住民は水害を知っていたが、「前回は避難しなくてもよかった。今回も大丈夫だろう」と考えてしまった。過去の災害の記憶がかえって避難の足かせになる「経験の逆機能」は、東日本大震災でも見られたという。
「滑ヶ谷」「荒川山」…「埋め河」転じて「梅河」に
広島市安芸区矢野東7丁目では、約60棟の民家の3分の1が土石流にのまれた。40年以上前に造成されたこの地区の住宅団地は、地元では「梅河ハイツ」と呼ばれていた。梅河の地名は「埋め河(川)」に由来し、縁起を担いで「埋め」を松竹梅の「梅」に変えたと伝わる。周辺には「滑ヶ谷」「荒巻」「荒川山」など、崩壊や土砂崩れを表す地名もある。
住民は以前から市に防災対策を要望し、2018年2月に治山ダムが完成したばかりだったが、土石流はダムを乗り越えた。一帯には避難勧告が出されていたが、ダムができたことで安心し、住民の避難が遅れた可能性がある。ダムの完成時に市側は住民に「これで安心してはいけない」と念を押し、土砂災害特別警戒区域への指定が決まっていた区域もあった。
人柱の伝説も…またも暴れた愛媛「肱川」
愛媛県大洲市や西予市で氾濫した肱は、「肱のように屈曲している」「泥土やぬかるみ(ヒジ)が多い」ことに由来する暴れ川。流れ込む支流は400本を超え、最近では平成7年(1995)と16年(2004)にも大規模な水害を起こしている。
川の合流点がある大洲盆地も昔から水害の常習地だった。『愛媛の伝説』(愛媛県教委)によると、鎌倉幕府から伊予(愛媛県)の守護に任ぜられた宇都宮豊房(1293~1369)は大洲に城を築こうとしたが、水害で高石垣が崩れて工事が進まず、ついに人柱を立てることになった。くじ引きで選ばれたのは「おひじ」という若い娘で、「せめて城下を流れる川に私の名前を付けてほしい」と遺言し、豊房が肱川と名づけたという伝説がある。
大洲盆地の水害を防ぐために上流にはふたつのダムが造られたが、西日本豪雨ではダムは満水となり、緊急放流後に川が増水して大洲市と西予市野村町で死者が出た。緊急放流の情報が流域の住民にきちんと伝えられたかどうかについて、国土交通省は検証作業を始めている。
静岡大防災総合センター教授の牛山素行さんは、「西日本豪雨では幅広い地域が災害に見舞われたが、個々の地点の災害は想定外ではなかった」と分析している。大きな被害が出た3つの被災地にはいずれも災害地名があり、災害の伝承もあった。いずれの住民も災害の記憶を持ち、国や自治体も対策を進める努力をしていた。
にもかかわらず「経験の逆機能」が避難の足を止め、治山ダムの完成が油断を招き、情報伝達が不十分なままの緊急放流が被害を大きくしたとすれば、非常に残念なことだ。しっかり検証して将来への教訓にしなければならない。
「周囲に峰々」「大量の地下水」…地名に刻まれた危険
広島県の被災地には、ほかにも災害地名とみられる名前がある。三原市は三つの川が流れ込む「水」(ミ)の「原」(ハラ)、すなわち湿地にちなむ地名という説があり、坂町は文字通り「傾斜地」を意味する。呉市は周囲を九つの峰で囲まれ、「九嶺(きゅうれい)」が「クレ」になったとも、崩壊地形を表す音「クラ」が由来ともいわれる。2004年に呉市に編入された川尻町の「川尻」の名も、大量の水が地下を通る「河代」が由来とされる。
熊野町で土砂崩れが起きたのは「川角」地区の住宅団地。「馬(ウマ)」は崩壊地形を示す「ウバ」の当て字に使われることが多いが、場所が離れた広島市東区「馬木」と東広島市西条町「馬木」でともに土砂崩れが起きている。ちなみに東区馬木3丁目は災害とは無縁の「やすらぎが丘団地」の名で開発されていた。新たに住み始めた住民は、自分の居住地の危険性をどこまで認識していたのだろう。
オカルトでも都市伝説でもない
『市町村名語源辞典』などによると、災害の傷跡を示す「音(読み)」や漢字が入った地名は、主なものだけでこれだけある(上表)。水を表す「さんずい」や、川の蛇行や激流を示す「蛇」や「竜(龍)」などの漢字が入った地名はわかりやすいが、多くの災害地名は「埋め(ウメ)」→「梅」、「ウバ」→「馬」のように、字より音に由来する。もともとは地域住民だけに通じる呼び名として音で語り継がれてきたためだという。
だが、ならば「梅」だけが「埋め(ウメ)」の当て字とは限らないし、かつて梅林があったことが地名の由来なら、「梅」があっても災害地名とはいえないことになる。「○○ヶ丘」「××台」という名前は安全と思いがちだが、かつて丘も台地もなかったところの地名がこうなると、何が危ない地名なのか分からない。
東日本大震災以降、「この地名は危ない」と解説する本が何冊も出されたが、「結局は災害が起きた後に解釈をこじつけているだけではないか」という批判がつきまとうのには、もっともな面もある。
しかし、災害地名をオカルトや都市伝説と同列に見るのは間違いだろう。東京のバス停の名前から地盤が良好か軟弱かを調べると、河川や沖積低地の地質図と見事に一致するという研究成果もある。
天災は忘れないだけでは不十分
住んでいるところの旧地名や由来、さらには郷土史を調べるのと同時に、自治体が公表しているハザードマップを確認し、いつでも見ることができるようにしておく。自分なりの防災マップを作る作業は、災害を他人事としない第一歩にもなる。自治体も過去の郷土の記録を整理し、災害地名をハザードマップに掲載したり、地区に説明板を設けたりして、もっと防災対策に生かす策を考えてもいい。
大きな災害のたびに言われる「天災は忘れた頃にやってくる」は、科学者で随筆家でもあった寺田寅彦(1878~1935)の名言とされるが、実は寅彦の論文や随筆にこの言葉はない。寅彦が口にした言葉を、弟子の中谷宇吉郎(1900~62)が寅彦の随筆で読んだと思い込んで紹介したことで広がった。
後に宇吉郎は出典を問われて、寅彦の随筆をすべて読みなおした。「天災は…」の言葉は見つからなかったが、改めて寅彦の教えを切実に感じたのだろう。宇吉郎は寅彦の名言を「先生がペンを使わないで書かれた文字ともいえる」と述べている。
人は忘れる生き物だ。思い出せなくなったら記録を読みなおせばいい。ただし、それで終わりではいけない。寅彦とともに関東大震災の被害調査に取り組み、「地震の神様」と呼ばれた地震学者の今村明恒(1870~1948)は、「天災は忘れないだけでは不十分で、防備することが重要だ」と補足を加えている。
#災害地名 #西日本豪雨 #緊急放流
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