今につながる日本史+α

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読売新聞編集委員  丸山淳一

道三と信長の聖徳寺会見 「麒麟がくる」はどう描いた?

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大河ドラマ麒麟がくる」の収録が中断されているという。

 もともと東京オリンピック中の放送休止を見込んで、いつもの年より少ない44話しかなく、沢尻エリカ被告の一件で冒頭10話を急きょ撮り直した。関係者はさぞ大変だろうが、何とか頑張ってほしい。

聖徳寺への軍勢の数は史書通り

 ドラマは細かいところで史実や最新の学説を丁寧にすくいあげていることは他のコラムでも書いている。

 

 

maruyomi.hatenablog.com

 問題続きで大変なのに、今でも決め細かい描写は続いている。4月12、19日放送回で描かれた天文22年(1553)4月の斎藤道三(利政、1494〜1556)と娘婿の織田信長(1534〜82)の「聖徳寺の会見」も細部まで凝っていた。

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斎藤道三(左)と織田信長(『絵本太閤記国立国会図書館蔵)

  まず4月12日放送分。聖徳寺に入る前、本木雅弘さんが演じる道三は、聖徳寺に「800の兵を率いてきた」と話した。これは信長公記』に「古老の者7、800人ほどに折り目正しい肩衣・袴、上品な身支度をさせて寺の縁に座らせた」とあるのを踏まえた設定だ。道三が町はずれの小家に隠れて、信長の行列をのぞき見したというのも『信長公記』にある通りだ。

 一方、染谷将太さん演じる信長も、『信長公記』の記す通りに大うつけの異形で現れる。「お伴の衆を7、800人ほど」ずらっと並べ、「柄三間半の朱槍500本、弓・鉄砲500挺を持たせ、元気な足軽を行列の前に配した」という記述も、ドラマのシーンでほぼ忠実に再現されていた。

 きちんと槍は朱塗りだったし、行列の幟の旗印は永楽銭ではなく木瓜紋だった。有名な信長の旗印「黄地に永楽銭」は、これよりずっと後の天正3年(1575)の長篠の合戦の頃から使われたという記録しか残っていない。

 昭和48年(1973)に放送された「国盗り物語」では、高橋英樹さん演じる織田信長は、永楽銭の旗印で聖徳寺に現れているが、聖徳寺会見の時は信長はまだ永楽銭の幟を使っていない可能性が高い。

  

帰蝶プロデュース」は創作だが...

 ドラマならではの独自の味付けもあった。主人公の明智光秀が道三に同行し、道三とともに信長軍の鉄砲の数の多さに目を丸くするところ、それから会見に乗り気でなかった信長を説得し、鉄砲をかき集めて信長をプロデュースしたのが妻の帰蝶(1535〜?)だったというところは言うまでもなく創作だ。

 ドラマなのだから、よほど荒唐無稽で無理がなければ創作や独自の解釈があっても構わない。だが、私は「創作」と「独自の味付け」とは違うと思っている。「創作」は歴史を知らない視聴者にもドラマを面白く視てもらうためにする。「独自の味付け」は歴史をかじっている視聴者を「へえ、そんな解釈もあるのか」とうならせるためにする、というのが私の勝手な仕分けだ。

 その意味で「へえ」と思ったのは、装備のうち鉄砲に注目していることだ。これまでは、この時に道三が驚いたのは槍の柄が自軍より長いことだったという記述が多く、『絵本太閤記』の挿絵も信長軍の槍を強調している。

 長い槍は重くて扱いにくく個人戦には向かないが、槍ぶすまをつくって押し出す集団戦では短い槍を圧倒する。道三は信長軍の長い槍を見て、信長が個人戦から集団戦への戦術転換を進めていることを悟り、驚愕した、というのが一般的な解釈だった。

 帰蝶が金でかき集めたというのは創作としても、『信長公記』に「弓・鉄砲500挺」とあるから、ドラマが槍ではなく300挺以上の鉄砲の方を強調したのは、創作ではなく、独自の味付けということになる。

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信長軍の長い槍に唖然とする道三(中央)(『絵本太閤記国立国会図書館蔵)

中立地帯での軍事会談

  歴史学者の桐野作人さんは『織田信長』(新人物文庫)の中で、聖徳寺が会見の場所に選ばれたのは、美濃と尾張の国境にあり、双方の守護から諸役免除のお墨付きを得た中立地帯だったからで、道三と信長が率いてきた家来がともに「7、800人」なのも、事前に取り決めていたのではないかと推理している。

 そうなると、聖徳寺の会見はただの舅と娘婿の顔合わせではなく、互いの軍備と、力量が司令官としてふさわしいものかどうかを突き合わせる軍事会談だったことになる。そこで信長は具体的な装備を示しつつ、これからは集団戦だと道三に示したわけだ。

 集団戦という点では、長い槍より鉄砲の方がさらに一歩先んじている。しかも、槍より鉄砲の方がはるかに高価で経済力がないとそろわない。

 「麒麟がくる」は主人公の明智光秀(?〜1582)を鉄砲の使い手として描き、信長だけでなく道三、さらに松永久秀(1508〜77)も鉄砲肯定派として描いている。剣豪として知られる13代将軍足利義輝(1536〜65)まで、鉄砲に備えて居館の壁を厚くしたと紹介している。

 将来への伏線を兼ねてだろうが、本能寺を鉄砲の製造・流通拠点として紹介したのも独自の味付けだ。財力で戦いに勝つ集団戦の象徴として、今後も「鉄砲」はドラマのキーワードになるのだろう。

会見で描かれた下克上の合理主義

 4月19日放送の聖徳寺会見の後半部分では、さらに経済力が強調されていた。まず、会見に臨んだ信長は道三が事前にのぞき見た異形から一転、威儀を正して登場し、再び道三を驚かす。ここまでは『信長公記』通りだが、ここからの展開はいい意味で裏切られた。

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威儀を正して登場した信長に驚く道三(左の僧衣姿)(『絵本太閤記国立国会図書館蔵)

 12日の放送では道三が息子の斎藤義龍(1527〜61)の出自をめぐって口論となり、道三が「お前は一介の油売りの子の血を引く儂の子だ」と言い放つシーンがあった。私はこれは聖徳寺会見の伏線だな、と思っていた。

 歴史学者の鈴木良一は『織田信長』(岩波新書)のなかで「一介の油売りから身をおこした道三は自分の経歴にひけ目を感じていたはずで、それを見抜いた信長がひと芝居うって道三を打ちのめした」という見方を示している。私もそう思っていた。

 ところがドラマの中で信長は、自らの出自、つまり織田家も名家ではない、「あなたと同じだ」と道三に語りかける。帰蝶プロデュースで鉄砲をかき集めたこともあけっぴろげに話した。つまり、芝居を打たなかったのだ。

 そのうえで信長は、だから金で戦力を買うのだ、鉄砲なら農民でも撃てる、これからは戦い方が変わる、と能弁に語る。

  つまり、信長は「これからは財力があるものが勝つ」という自らの徹底的な合理主義を披瀝し、道三に「あなたも同じでしょう。私にはそれがわかる。あなたの娘、帰蝶はそれがわかっていたから」と語りかけたわけだ。なるほど、これなら自分の考えを言い当てられた道三は信長が一気に好きになったのもよくわかる。

 ちなみに「国盗り物語」も聖徳寺会見を描いているが、高橋英樹さん演じる信長と平幹二郎さん演じる道三は、何も言わずに向き合って湯漬けを食べただけで別れている。以心伝心で両雄は互いの器量を知ったというわけだが、私には今回の方がずっと良かったと思う。

「ひれ伏すことになる」の前の「間」の意味

 『信長公記』には、会見からの帰路で道三の側近が「どうみても信長は大うつけですな」と言ったのに対し、道三が「だから無念だ。この道三の息子どもは、あのうつけの門前に馬をつなぐ(家来になる)ことになろう」とつぶやく逸話がある。

 ドラマで道三は「会見直後に側近」にではなく、「後日に息子の義龍」に「ひれ伏すことになるぞ」とつぶやく。「門前に馬をつなぐ」と言わなかったのは、「家来になる」という意味が視聴者に伝わりにくかったからだろうが、道三が「ひれ伏すことになる」という台詞の前の間が非常に長かった。

 息子に対して娘婿にひれ伏す、と言い放つことはさすがに躊躇したが、オブラートとにくるんだ言葉では古い頭の息子には分かるまい、という道三の瞬間の思考を表現したのがあの「間」だったと思う。

 ドラマの制作者が「門前の馬をつなぐ」では伝わりにくい、と考えた相手は、視聴者だけでなく義龍もだったのではないか。

 逸話のシーンを『信長公記』にある会見直後から後日に移し、側近ではなく義龍に「ひれ伏すことになるぞ」と道三に吐かせたのは、名ばかりの守護の血筋にこだわる義龍の古さ、信長の新しさを印象付けるためだった。あの「間」は本木さんのアドリブかもしれないが、「間」のおかげでさらにその意図が際立った。

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現在の聖徳寺跡(愛知県一宮市

気になる光秀の古さ

 「ひれ伏す(=門前に馬をつなぐ)」の逸話で義龍の古さを強調したのは、次週展開する義龍と道三の相克を際立たせるだけが狙いではないだろう。鉄砲が戦を変え、財力があるものが勝つことを義龍は全く理解していないが、信長と帰蝶は理解しているということを示す狙いもあった。今後は信長夫婦の合理主義はさらに強調されていくだろう。

 気になるのは主人公、長谷川博己さん演じる光秀だ。鉄砲の有効性に目を付けた点は信長や道三に近いが、土岐氏の血筋にこだわる義龍の考えにも同調し、将軍義輝の古い権威を大切にしている。これは従来から描かれる光秀像と変わらない。

 聖徳寺会見で信長の徹底した合理主義が描かれた以上、ドラマで信長は部下を鉄砲と同じ「道具」とみなすドライな振る舞いを増やしていくのではないか。光秀がこのままなら、信長の思想についていけなくなって悩んだあげくに謀反を起こす従来のパターンが見えてくる

 だが、それでは光秀はわき役になってしまい、光秀が戦国の世に平和をもたらす「麒麟」にはなれないのではないか。聖徳寺会見が非常にうまく描かれたことで、光秀がずっと同行していたにもかかわらず、2日と19日の放送の主人公はすでに完全に信長になってしまっている。

 それはそれで、信長ファンの私にはうれしい展開ではあるのだが、さて、どうなるか。またいい意味で予想を裏切る展開を期待したい。

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今につなげると...米朝首脳会談? 

 最後に蛇足ではあるが、聖徳寺会見を今につなげてみると、アメリカのトランプ大統領北朝鮮金正恩委員長の板門店での米朝首脳会談に重なる。あの会談は和平会談というより、互いの軍事行動を品定めする会談だった。2人も実は、徹底した合理主義者だ。

 4月21日には金正恩委員長の重病説が報じられ、世界が動向を注視している。この時期にかの国が動揺しては困る。元気な姿を見せてほしいものだ。

 米朝関係であえて光秀を探すとすれば、韓国の文在寅大統領あたりになろうか。だが、文大統領は絶対に米朝関係の主役ではないし、麒麟にもなれない。米朝交渉は会談後も膠着しているが、いい意味で予想を裏切る展開はあるのだろうか。

*4月19日放送を受けて内容を更新しました。

#織田信長 #斎藤道三 #麒麟がくる #聖徳寺

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